アラサーの銭湯日記

銭湯、時々日常

友達の定義とコミュニティ

こんばんわ。

 

遅い時間の更新です。

先ほどまで、10年来の友人と飲んでました。

さて、その時にちょっとした出来事があり、気持ちが冷めないうちにブログに書かないとって思いました。

あまり気持ちの良い話ではないし、極端で個人的な解釈がおおく、あまりにも痛々しい内容になるかもしれません。

 

今日飲んでいたのは、10年以上前にとある学習塾で一緒だったメンバーです。

中学校が一緒の人もいますが、会うのは久しぶりでした。(2年ぶりくらいかな)

昔話に花を咲かせましたが、それ以上にこの先の事、未来の事について色々な話をしたり非常に有意義な時間でした。

そして、2次会で別のお店に行った時に事件が起こりました。

 

同じく10年以上前に同じ中学校に通っていた人たちに会いました。

その人達と会ったのは実に10数年ぶりでした。

今日については、コミュニティが違うのであまり話しすぎるのもよくないと思いましたが、相手側が一方的に話しかけてきたので仕方なく対応しました。

「みくって今〇〇中学の誰と仲が良いの?」

「昔××と仲良かったよね??今は??」

「僕たちは△△と仲良くて、今でもしょっちゅう麻雀やったり飲んだりしてるよ」

こんな感じの会話が繰り広げられました。

私は、高校~大学~大学院まで本当に自分の好きなことに熱中して、日夜研究に励んでいたのでほとんど地元にはいませんでした。けれども、本当に仲の良い地元の友人とは定期的に連絡を取っていました(もぐお君です)。

ほとんど地元におらず、連絡とっているのもほんの数人だったので、正直中学の時の人達が何やってるとかどうなってるとか知りませんでしたし、はっきり言えば興味もありませんでした。

そして、今日さっき書いたような会話に違和感を覚えました。

なぜ、あんな事を聞いてきたのだろう。なぜ、そんなに地元に縛られているのだろう。

大学に入学し、大学院に進学し、社会人になり、色々な人に出会い、所詮1個人の気持ちではありますが、世界が広がりました。

地元を蔑ろにするつもりはありませんし、実際仲良い友人はいますし、今日のように久しぶりに集まって飲んだりもします。

ただ、なぜ中学生の時の同級生と今でもずっと仲良くてつるんでいる前提で話が進んでいるのだろうと疑問に思いました。

キザな言い方かもしれませんが、私は過去に生きているのではなく未来に向かって生きています。

過去のコミュニティは当然大切だと思いますけれども、そこに縛られてしまったら意味を生きている意味をなさないと思っています。

時間が進めば当然考えも変わりますし、それに合わせてコミュニティも変わります。

地元愛なんて所詮戯言にしか過ぎない欺瞞に満ちた言葉だと思います。

何故、縛られているのだろう。

過去のコミュニティに今は属していない事はそんなにおかしい事なんでしょうか。

友達の定義って何だろう。

私は、100%は物事を話せないけど7割は話せるのが友達で8割以上話せるのは親友だと勝手に決めています。

見た目が変わっても、中身が伴っていないとこの10年何してたの?ってなるのが普通だと思っていたけれども、どうもそういう風に考えている人は少ないみたいですね。

中身が中学生当時のままのような気がして、「ああこの人達と話しても何もメリットがないなぁ」と人として最低な事を考えていました。

私はクズで、考えが極端な人間です。

しかし、それでも未来に生きようとしています。

後悔もたくさんあるし、苦しいことも、だれにも話せない事もありますがちょっとずつ前に進んでいます。

今更過去の話を永遠とされても、何も面白くないし、生産性が無いから時間の無駄。特に最近そんなに親しくない人と話してもね。

 

なんだかとても疲れてしまいました。

同じ学習塾の人達との話は個人的にはとても有意義で楽しかったです。

彼女も欲しいです。

 

凄く、疲れてしまいました。

おやすみなさい

 

追記:なんか下書きで保存してました。

せっかくだから公開しておきますね。

今はめっちゃ冷静だからコイツマジで頭おかしいだろって自分の事思ってますwww