人生、不十分

大好きな銭湯のこと、日常のこと、考えなど

不十分な世界

子供の頃はどちらかと言えば、明るく活発で、リーダー気質だったと思う。それだけじゃなくて、「みんな」がやることや「みんな」ができることは一緒にちゃんとできたし、「求められる」役割もこなせてたと思う。そこに自分の意志があるかどうかは関係なく。

 

それだけじゃなくて、自分でやりたいこともあったし、なんでもできそうだったし、はっきり言えば無敵だった。

幼稚園の時の事はあまり覚えていないけれども、小学生の時なんかはそうだった。

 

住んでいた集合住宅では、年下の子が多かったのでおのずと下の子たちと遊ぶことが多くなった。そうなれば必然的に引っ張っていくような立場にならざるを得ないわけだし、そもそも性格的になんでも前に出たがり人間だったので適任だったとも思う。

 

学校の方では、周りの人達に恵まれたおかげで身長が小さくてもいじめられたりすることなく、クラスのみんなと明るく楽しく過ごしていた。
当時通っていた小学校は所謂わかりやすいカーストみたいなのがなく、割と和気あいあいとしていたと思う。

 

それが一変したのは引っ越しをして東京に来てから。
まず環境の変化についていけず、激太りした。それははっきり覚えてるし、何なら小学校の時の卒業アルバムを見てもだいぶ太ってる。

 

そして高学年にもなると既に様々なグループ等が出来上がっている。
その中に入っていかなければならないし、何よりカーストが今思えばひどかった。

 

その頃からだと思う。
前に出たがりだった性格は鳴りを潜めて、できるだけ目立たないようにと。
でも、周りに合わせて、「みんながやる」ことや「みんなができる」ことはしっかりやっていたと思う。私は「みんな」が求めている「真面目」で「勤勉」な人間を最後までやり遂げたと思う。

 

中学でははっきりとスクールカーストが出来上がっていた。
そんな中、色々なことが重なって学級委員を約3年勤め上げた。
薄々わかっていたけど、あとからむっちゃ嫌われていた(学級委員って嫌われがちよね)と聞いて、「まあそうだろうな」って納得する一方で、前に出たがる私の性格は完全に消えた。

 

とは言え、やっぱり小学校の時と同じで「真面目」と「勤勉」という張り紙が強力でちゃんとできてたと思う。

 

我ながら器用だと思うけど、ちゃんとみんなと一緒なことができていたと思う。でも、それもきっとその頃に限界が見えていたんだと思う。しんどかった。

 

高校では勉強勉強勉強。
もちろん部活もやってたけど、まず勉強。
それはそれとして、相変わらず「みんな」に合わせるということは出来ていた。
齟齬が出始めたのはこの頃からだったと思う。

 

高校生にもなると、文化祭やなんやで打ち上げがあったりする。
それに参加するのがしんどかった。
勉強したい、とか、行きたくないとかではなくシンプルにしんどかった。
かなり無理して参加してた。(当時のみんな今更こんなことでごめんね)

 

それだけじゃなく、高校生にもなるとそこにはどうしようもない壁が出てくる。圧倒的な才能。それはスポーツに限らず勉強においても。

 

どれだけ勉強しても追いつけない。
休まずに練習してもレギュラーどころかベンチ入りすら怪しい。

勉強してない奴の方が成績が良い。
嘘をついて練習を休んだ奴はレギュラーが確約されている。

 

そうして私の中にはっきりと「妬み・嫉み」が生まれた。
いつか、こいつらよりもよっぽど良い成績残してやる。
こいつらよりも長く楽しくスポーツを続けてやる。
でも、高校生の自分の意志や力だけではどうにもならなくてだいぶ心がぽっきり折れたけど。

 

大学生になって、色々な迷いが生まれた。
みんなと同じ、みんなと一緒が上手にできてきたからこその弊害。
「あれ、自分って何がやりたいんだろう」という疑問。そこへの解がない。

 

例えば「同じができない」という苦しみは小さい社会である学校ではしんどいと思うけれども、それは逆の見方をすれば「人と違う」ができる。
それは大人になれば一つの特性。何もかも違うことが良い、一緒が悪い、というわけではなく、それはそれとして武器になるっていうこと。

 

武器になるまで長い時間が必要だけど、一度その「人と違う」ができるという武器が輝きだせばそれはとても強力な武器になると思う。

でも「みんなと一緒」で過ごしてきた私にはそこに明確な意思がない。
「へへへ」って笑いながら同じように進んできたけど、それも大学までが限界。大学に進むとそこはある種「自由」がある。

 

中学高校とは異なり、授業の組み方、授業外の動き方は自由になる。
つまり、そこに「一緒」はない。
まあ、大きい括りで見れば「バイト」や「サークル」っていう「一緒」はあるんだけど、その幅は広がる。

 

そこに至ると、「あれ、私って何がやりたいんだろう」ってなった。
小学生の時、あれだけ前に出たがりで、無敵で、沢山あった夢はここに来るまでの「一緒に」という言葉と共に消えてなくなっていた。

かつて天才だった俺たちへ
神童だった貴方へ
似たような形に整えられて
見る影もない

かつて天才だった俺たちへ/Creepy Nuts

まさに、この状態だった。見る影もなく、所謂「量産型」だった。
そんな「量産型」になった状態で唯一光輝いていたのが強い「妬み・嫉み」だった。

 

大学生になって減るかと思えば全くそんなことは無くむしろ悪化していた。
何かにつけて、人の事を羨んで妬み、激しく自己嫌悪して、また妬む。
そんな繰り返し。そして、中学時代のカーストで潰された前に出がりな性格はどこへ行ったのか、内にこもりがちになる。

 

そう言っても、大学でも、バイト先でも楽しくやっていた。
趣味もありがちだけどオタク趣味があったおかげで、内にこもりがちでも楽しかった。

 

でも、それでも、ふっとしたときに様々思うことがあった。
それは言葉にするのが自分でも嫌になるくらい、悍ましい気持ちだった。

 

結局、簡単にまとめると「飲み会はしんどい」「みんなと同じはしんどい」「なんでこの人達はこんなに楽しそうなんだろう」だった。いや、正確に言うのであれば「あの人達はお酒が飲めて酔えるから楽しいだろうな」、「こっちはお酒飲めない(弱すぎて)から潰れたあなたたちの介抱ですよ」、「なんで同じようにやってるのに、あっちの方がいい成績なんだ」っていう妬み・嫉み。

 

ずーっと人に合わせて、求められることができて、みんなと同じができて、同じように楽しめたはずなのに、その齟齬は埋められないくらい大きくなっていった。でもみんなと同じがしんどい、と思っても、みんなと同じしかやってこなかったからどうすればいいのかわからなくなった。

 

人と違うが格好いいとかそういうわけじゃない。
そこに自分の意志が介在していないのに「みんなと同じ」をするのはしんどいということだった。

 

この世界はいつの間にか「みんなと同じ」じゃ不十分で「個性」という物が求められる世界に変わっていた。でもその「個性」も「みんなと同じ」の範疇にないと、除け者にされちゃう世界。そんな理不尽なことがあってたまるか、って世界の事を恨んだりもした。(規模がデカい!笑)

 

みんなと同じがしんどいとなると、何かが欠けているような気持ちになった。例えば、飲み会については無条件にみんなが楽しいって思いがちな人が多いし、飲みにケーションという物が有効なのはわかるけど、全員に当てはまるわけでもない。私は常に「なんで腹を割って話すのに酒が必要なんだ?」って思ってたし、「そもそも酒を飲まないと騒げないのもおかしいよな」とか思ってた。

 

腹を割って話すなら普通にご飯を食べるだけでもいい。
酔っている時が本心、なんて言うけどあれば本心じゃなくてブレーキが利かなくなって暴走しているだけであって本心とは言わないと思うし。

 

楽しく遊ぶのだって、お酒を飲む必要性が理解できなかった。
ファミレスでしゃべるだけでも十分楽しいでしょう。
夜道を散歩するのが好きだったから、ただ散歩するだけでも楽しかった。
でも、実際はそれを理解してはもらえない。


それを口に出せばきっと除け者にされてしまう。怖かった。
結局のところ、そうは言いつつ私もみんなのようにお酒飲んで、騒いで、どんちゃん騒ぎして、べろべろになって潰れて、ということをしてみたかったんだと今になって思う。

 

それに加えて、色々な理不尽はあった。
自分で入れた予定のはずなのに、実験に来ない。でも許される人とか。
何にもしてないのに、あの人の成績がいいのはなんでだろうとか。
なんであの人はあんなにモテるんだろうとか。

 

そんな中、たりないふたりに出会えたのは大きかった。
コンプレックスや何かがたりていなくても、それを武器にして生きていくことができるんだと本気で救われた。

 

内にこもりがちになったとき、南海キャンディーズの山里さん、オードリー若林さんがめっちゃ好きになったこともあって、もう衝撃だった。

 

きっと自分には想像がつかないくらい、辛い思いとか、大変なことを経験して、今、テレビに出ているのに、それでもなお、これだけ生き様を出してくれるんだ!!とめちゃくちゃ勇気つけられた。

 

徐々に自分との向き合い方もわかってきて、何が嫌で、何が好きで、何がしたいのかが見えてくるようになった。

 

冷静になれば「たりない」って超強烈で強い言葉だけど、その言葉を使った二人のユニットにどれだけ、どれだけ、どれだけ救われてきたか。これは誰にもわからないと思うし、わかってもらいたくもないし、簡単に寄り添わないで欲しいし、共感もしないで欲しいって思うくらい。簡単に分かったつもりになるなよ、って気持ちも妬みみたいなもんだなきっと。

 

この不十分な世界、たりない世界までお前らに共感されちゃったら私たちはどうすりゃいいんだよ、止めてくれっていう妬み。酷く醜い妬みだ。でも、それがきっと私の根幹であって、ガソリンなんだと思う。醜くて自分でも書いていてすごく嫌になるけど、その妬み嫉みが出るくらいには物事に対して情熱がある。見えていないときがあるけど、それは内に隠しているだけ。見えてないからって決めつけないでくれ。

 

結局、30歳を過ぎた今でも相変わらず妬み嫉みはひどいし、時々苦しくなることがあるし、昔ならできた「みんなに合わせる」ができなくて悲しくなる時がある

 

でも、それでも、自分がやりたいことややっていることが間違っているとは思わなくなったし、迷いもない。だって、たりないふたりという先人が今も道を切り開いて進んでいてくれているから。

 

そして、その先人たちのおかげで「ああ、きっと自分もああなりたいんだな」みたいな分析もできるようになった。負の感情だけでは終わらない。

 

そんなこんなで、結局は満ちることがなく、キラキラした世界は合わないということが分かりきっていて、今でもたりていない、不十分な世界で生きていく。でも、それで良い。たりている、充足している世界に行かなくったって、ここで今、自分が納得し、向き合い、醜い感情もしっかりと自分で受け入れることができているから。

 

願わくば、このたりない世界で、たりない相方に出会いたい。
あー、たりなくてよかったー。

 

がわ