人生、不十分

大好きな銭湯のこと、日常のこと、考えなど

出展する熱意と熱量と(5月エッセイ①)

以前も同じような事を書いたけれども、やっぱり所謂即売会に出展すると沸々と創作意欲が湧いてくる。

 

今回は4月月末のマニアフェスタ(ニコニコ超会議内)と5月の文学フリマ東京に出展してきた。

どちらも「銭湯」に関するブースとして出してきた。

 

マニアフェスタと文学フリマはとても客層が異なっており、両方のイベントに出展したからこそのわかるものがあったり得られるものがあった。

 

特に文学フリマの方では初めて個人のエッセイを印刷して持っていった。

結論から言えば「沢山売れたわけじゃないけど、ほんのちょっと売れた」だ。

そもそもきっと多くの人が私に望んでいるのは「どうして銭湯で?」という所と、「実際に何が大変か」という所なんだろうなという事は分かっている。

 

けれども今回は私の大学時代の事を中心に書いたエッセイだ。

(今回は前編で後編で銭湯の話に繋がっていくんだけどね)

 

正直ちょっぴり恥ずかしくて、あまりSNSでは宣伝しなかったし、当日も全然話を出さなかったけど買ってくれた人が居た事にびっくりしたし、嬉しかった。

 

もちろん友達と一緒に作った銭湯の本が売れる事もとっても嬉しいのだけれども、自分が一人でコツコツ書いて作った冊子が売れる喜びはなんとも言い難いものであり、照れくさくも、本当に本当に嬉しかった。

 

こうなってくると人間は欲が出てくる。

今回はエッセイだし、前編と銘打ったからには秋までに後編を書き上げる予定。

既に書き始めているし、この感じなら多分7月中には書き終わると思う。

・・・そうなるとフィクション、小説を書いて出してみたくなる。

 

実は今回の文学フリマへの出展準備中にPCのデータを整理していたところ、過去に書いた小説(200ページ超えてた!笑)が出てきた。これは本当に一切世に出したことがない作品で、人生で初の長編小説でもある。

 

面白いか面白くないかで言えば多分面白くないし、拙いし、なんか既視感のある内容な気もしなくもない。けれども、そんな風に言い訳を言い続けているうちに熱が萎んでしまう事を経験から知っている。

 

いつもそうなんだ。

無駄に他人の目を気にして、人からの見られ方を気にして、本心を捨てる。

やりたいことをやるよりも、人から変な目で見られないようにする。

そのための言い訳は沢山自分に言い聞かせてきた。多分100どころか1000は言い訳していると思う。だって、言い訳があればどんな理由であれどそれが盾になるから。

 

でもやっぱり、恥ずかしいという気持ちがあれども「書きたい」や「本にしたい」という気持ちが上回り始めてきている。例え誰にも求められていなくても、それでも私はそういう事がしたいんだと思う。

 

そもそもで言えば、絵や音楽といった芸術に対するコンプレックスが激しかった。

コンプレックスというよりも、当時の学校の先生達にかけられた呪いだ。

それがやっと解呪され始めている。

 

次の文学フリマ東京なのか、その次の次なのか、あるいは別のイベントなのか。

どうなるかはわからないけれども、銭湯の人とは別の私として、小説という物を書ききって出展をしてみたいと思った。

 

(まあ毎度毎度出展するたびに思って書いてるんだからさっさと出展せーやって話なのは自分でも理解しているけど、どうしてもね)

 

がわ

2024年4月日記

気が付けば新年度が開始していた。

年末年始に「ぬわーーー!!!」って苦しんで地獄見て、「もう駄目だおしまいだ」なんて言っていたのにあっという間だ。もう4月(何ならこれを書いてる時はもう5月)になっているなんてな。こうやって人は年老いていくんだろうね。悲しいね。

 

2024年4月1周目

何をやっていたかな~と思ったけど、特別な事何もしてない1週間だった。

っと思ったけど、(仕事として)定休日に壊れていた乾燥機の搬入をやったんだった。

 

仕事の方では引継ぎ3周年&4年目突入ってことがあったり、小屋の写真展やるよ~って話をついに公開したりしたんだけどね。

 

本当に仕事と遊び(というかプライベート?)の境目が無くなってるな。

良い面もあれば悪い面もあるから気を付けておきたいところだけど。

 

2024年4月2週目

前の放送の時には若くてなんか恥ずかしくて言えなかったけど、30を超えた今の私は堂々と言えるぞ。「ホロが可愛い」(狼と香辛料)。

「わっち」なんて言う賢狼が居るんだったらぜひ目の前に現れてくれたまえ。

もう前回のアニメ化から10年以上・・・経ってるのか・・・。

ストーリーもほぼ覚えてないから毎週観るのが楽しみになっている。

 

その裏で若干の体調不良があったけどすぐに復活した。良かった。

どうにも寒暖差と気圧差に身体が付いていかない・・・私には速さが足りないのか。

 

毎月恒例のオタク会。

今回は食事ではなく再びハリーポッターと呪いの子を観に行ってきた。

前回見た時とは違う組み合わせで。

いや本当に凄いのね。役者さんが変わると(ストーリーは同じだけど)本当に別物になる。

 

それぞれの役者さんが「役」について解釈を加えて演じるからこそのこの違い。

その違いがあっても物語としては破綻はしないし、本当に凄いと思うんだよなあ。

こうやって沼にハマっていくんだなって実感した。

 

2024年4月3週目

ぼちぼち月末に出展予定のマニアフェスタの準備をしなければ・・・と思いながらもなかなか進まないのが現実。

 

毎日の仕事の合間にやればいいのに本当にやらないんだよなあ笑

 

そうこうしているうちに定休日。

天気が悪く雨が降っていたので「これは行ける!!」と思い、夜にオッペンハイマーを観に行ってきた。約3時間という長丁場の映画にも関わらず、飽きさせる事なく最後まで観させるノーラン監督はさすがだ。ただ、内容が濃すぎるし、登場人物多すぎるしで、かなりカロリーを使う。観終わった後、空腹でぶっ倒れそうだったし。

 

本作については色々と意見があるけど、私は観れて良かったなって思ってるよ。

 

2024年4~5週目

4月最後にやることがいっぱい!ポケットが夢でいっぱい!!

 

男湯の浴室天井の一部タイルがはがれていたんだけど、やっとオーナーというか管理会社が動いてくれたのか職人の人が来てくれたので作業。

 

その横で「小屋写真展」の準備を遠藤さんと共に着々と進める。

お客さんからどういう反応が返ってくるんだろうか、と不安半分楽しみ半分な気持ちだ。ぜひともグッズも手に取って欲しいよなあって思った。

 

写真展の準備はつつがなく終わったのにタイルの補修は夕方までかかった。

しかも次週に跨ぐという・・・じらす系アニメですかあ?

 

諸々が終わったので、舎人ライナーに乗って舎人公園へ。

ネモフィラが見ごろという事で、ミー子さんから借りているカメラを持って。

本当に綺麗に咲いていて、「うわー!すげー!!」って少し興奮気味になった。

けれども、周りを見ればカップルばっかりで居づらく一通り写真を撮って撤収した。

舎人公園はとにかく広いからまたカメラを持ってお出かけしたい。

 

写真撮ったその足で上野まで移動して、無印良品で買い物をして、電車を乗り継いで早稲田に移動。向かうは豊川浴泉さん。前回来たのがいつなのかわからないくらい久しぶりだったけど、沢山歩いて移動した後だったから信じられないくらい身体に沁みた~いやあ満足満足。

 

そうして定休日が終わると、やってくるのはマニアフェスタ。

金曜日は少しだけフロントであとはひたすらパッキング。

何とか終わるも、緊張なのか興奮気味なのかほぼ寝付けなかった笑

 

一緒に出展するアツシさんと合流して、向かうは幕張メッセ

ニコニコ超会議の規模がデカすぎるのよね。

設営はそれなりに手慣れてきた感じがある。

設営しながら同じ出展仲間のず子さんとやのさんも合流。メンバー全員ばっちり揃った!!

 

いざ開始すると、去年よりもかなりたくさんのお客さんとお話をすることができた。

銭湯って気になってるけどな~っていう人が多かった印象。

それを何とかするのが我々の活動だ!なんて思ったりしながら。

 

他にも色々なマニアの方々にご挨拶をして、なんかもう楽しかったね。

マニアフェスタ、毎年2回くらやってくれないかな・・・(出展は大変なんだけどね笑)

(それなりに絞って買ったのにこれよ。でもこれこそマニアフェスタの醍醐味)

 

マニアフェスタの裏側ではすでに「小屋写真展」も開催をしていたわけです。

GWの前半戦という事もあって、それなりに来てくれるかなって見こんだんだけど果たして・・・。

 

ずーっと動きっぱなしでぼちぼち「何もしない日」を作らないと危険かもしれん!って思いながらも「動いていないと楽しくない!」という気持ちが勝ってしまいあちこち出かけたりなんだりした1か月だった。

 

5月ももうたくさん動く事がもう確定しているので、上手く時間を見つけて要所要所で休んでおきたい。けど、まだまだやりたい事も沢山あるので動くぞ~!!という気持ちがあふれた1か月でした。

 

それではまた来月~!

 

がわ

忙しいとは?(4月エッセイ②)

最近、色々とやることが多くバタバタしている。

脳がオーバーヒートしているのが凄くよくわかる。

発熱しているわけではないのに、頭が熱い事があり「あ~オーバーヒートしてる」と自覚してすぐに寝るようにしている。

 

けれども、それでも、時間は進むし何もかもが待ってくれない。

こんな状況になるとふと前職時代の事を思い出す。

 

入社して3か月程が経った頃の話。

社会人として必要な基礎マナー研修や本格的に業務に携わっていくための基礎の基礎の研修が終わりいよいよOJTをやり始めた。

その頃に私の弱点(?)は露呈した。

 

「うーん。がわくんは仕事は丁寧だし、ある程度の速さがあるんだけど、複数の事が重なると一気に速度が落ちるね」

「そうなんですよね」

「ちょっと厳しい言い方になるけど、今後のタメだと思って言うね。マルチタスクが苦手なんだと思う。でもマルチタスクってこの仕事だと必須になってくるから、少しづつで良いから改善できるように努めましょう。私達も色々と教えるから」

 

つまるところ、マルチタスクが苦手なのだ。

いや、これに関しては当時私を指導していた先輩が「苦手」と言ったのでそれが刷り込み的になっているだけで実は「苦手」ではない。

マルチタスクが苦手なのではなく、優先順位をつけるのが苦手なのだ。

 

どんな仕事においても優先順位はある。

流石に苦手な私でも緊急を要するものは分かるし、優先度が高いものは分かる。

けれども、そうじゃない一般業務における優先順位の付け方が苦手。

というよりも人によって優先順位がなぜか変わってくるので、それに対応していると自分でつけた優先順位が狂うのだ。そうなると、もう大パニック。

 

「あれ、どこまでやったっけ」

「これ、どうするんだっけ」

と色々と爆発して何もかもが大変だったのを思い出す。ああ、苦しい1年目だった。

 

結局のところ、他人に振り回されていただけだったのだ。

先輩Aは「○○を先にやって」と言い、先輩Bは「○○はあと、×が先」という。

そんな環境で優先順位もマルチタスクもクソもないだろうと今になって思う。

 

でもそんな環境に居たからこそ、抱えて7割で一旦放出して、そのあとに10割にするという方法ができるようになったし、嫌でもキャパが増えたので全部が悪いとは言えない。ポジティブシンキングが大切なのだ。

 

では現在は一体どうなっているのか。

「忙しい」という言葉で終わらせたくない。特別忙しいとは思わない。

けれども、抱えているものが多いのは事実だ。

それは「仕事」として抱えているものもあれば「個人」のやりたいこととして抱えている事もある。

 

言い換えれば「忙しい」のではなくて「充実」なのかもしれない。

けれども仮に「充実」という言葉に置き換えた時には再び違和感が出る。

私個人の気持ちとしては「充実」には「休息」も含んでいると思う。

その「休息」が抜けてしまうと「充実」は「忙しい」に変貌するのだと思う。

 

そうすると今の私は残念なことに「休息」の時間があまりないので「充実」というよりはやっぱり「忙しい」になってしまうんだろう。

 

でも「忙しい」はなんだか鼻につく(笑)気がするので、今とても「充実」しているんですという事にしておきたい。

 

がわ

言葉の力(4月エッセイ)

最近口癖のように「言葉を大切にしない人は嫌いだ」と言ってしまう。

(無意識だったけれども何度か指摘された)

 

こんな事を言っているけれども、じゃあ自分自身は大切にできているのか?

そう問われてしまうと自信をもって「大切にしている!」とは言えないかもしれない。

けれども、口から発する時は「無」じゃなくてちゃんとそれなりに考えている。

 

そもそも脳内会議ばっかりをしている人間なので、その発言がどうなって、どのような影響を及ぼすかということは考えてしまう。もっとも、それでいても言葉のチョイスを間違えてしまう事は多々あり、日々精進せねばならないと思っている。

 

どうにも言葉という物を軽々しく取り扱いすぎな気がしなくもない。

私自身は「言霊」をある程度(完全にではない)信じている。

 

言葉が持つ力は人間が想定しているよりも強いと思う。

例えば、一言で人を楽しくさせることができれば悲しくさせることもできる。

それは「口」から発せられる事に限らず「文字」として起こされたものも含む。

 

過去を鑑みてみれば、呪いは言葉からできてるわけだし、祈りもまた言葉だ。

言葉が持つ力という物は元来ずっと強い。それはどんな人も知っているはずだ。

 

それなのに、その強さという物を理解しきらずに使っているのではなかろうか。

しかし、だからと言って規制をすればいいわけではない。規制はつまるところ言葉狩りになる。言葉狩りをしてしまえば、言葉が持つ良い側面の力も制限してしまう。

 

じゃあどうするのか。もうこれは、各々のリテラシーを鍛えるしかない。

簡単に発言ができてしまうけれども、その力がどのくらいの影響があるのか。

 

昨今は「インフルエンサー」なる言葉が生まれ、それを生業としている人が増えた。

それを見ても、言葉の持つ力と影響力があることなんてみんなが身近に感じているはずだ。

 

特にネガティブな言葉の力は簡単に伝染する。それはただ伝染するだけでなく、すぐに発症して、爆発的に広がって鎮まることがない。

 

だからみんな感覚がおかしくなっているんだと思う。

本来重みをもつ言葉が「多くの人が使ってるし」という理由で軽くなっているんだ。

実際はそんなことはない。重みは変わっていないわけで、でも軽くなっていると錯覚してしまうんだ。

 

そうやって言葉がただ無意味に消費されてしまうのは何となく苦しいし嫌だ。

こんな事を言っても、別に私は文字や言葉を生業にしているわけじゃないので本当にただの感覚でしかないのだけれども。

 

精神論かもしれないけど、スポーツ等でしんどい時にこそ「声を出す」というのは全く意味がないようで実はもう一歩の踏ん張りができるということで意味があったりする(これは経験談

 

将来の夢等を口に出したり、文字にすると「後に引けない」気になる。

つまり、「やらなきゃ!」という気持ちと「やってやるぞ!!」という気持ちが出る。

 

とにかく、言葉の力は凄いんだ。だから、言霊はあるんだ。

別にスピリチュアルな話ではなく、普段から自分の言葉って言うのを顧みる事をしてみると何か一つ新しい発見があるかもね、という話。

 

言葉を大切に、ということは一見すると難しいかもしれないけどなんてことはない。

その影響をほんの少し頭に入れて、何かを言う前にほんの一瞬思考をすればいい。

反射的発言なんて良い事が何もないんだから笑

 

がわ

2024年3月日記

今月はなんか思っていたよりも忙しかったし、慌ただしかったし、花粉症が辛いしで大変だった。

 

3月1周目

1周目と言いつつ、金曜・土曜で終わり。

金曜日は用事があって本部に行ったりしたからそれなりの疲労度だった。

朝風呂がな~朝風呂がな~。機械不備で一時的に中止してた間に離れてしまったのかなかなか数字が戻らないんだよな。このまま続けるのか、止めるか、改革するかを考えなければならないフェーズなのかもしれない。

 

3月2週目

何をやったかな~と考えて、ちょっとした取材というか調査を受けた事を思い出した。

少しでも役に立っていればいいんだけどな、どうだろうな。

定休日は急遽予定が変更になりまして、風呂巡りと写真撮りに散歩をした。

チケット取れなくて現地に行ったわけでもないのに、余韻がまだ残っていて東京ドームまで行って写真撮ってきた。カメラ持ちながら散歩するの楽しいな。やっぱり写真って楽しい。

 

3月3週目

今月は毎回火曜日に雨が降るな・・・とちょっと天候を恨んだ。

まあ天気を恨んだとて何も解決しないので、自分のできる事をやれよって事なんだけど。それでも、少しくらいは恨み節を言いたくもなるものなんだよな。こんだけピンポイントで火曜日に天気が悪いとさ。

 

定休日には再び本部での用事。なんか本部に行く回数増えたな?気のせいか?笑

用事済ませて、上野公園を散歩した。桜は開花前だったけれども、少し咲いていたので写真撮った。花を撮るのは難しい。でも楽しい。

この日は天気がとても良かったので、とにかく歩いていて楽しかった。

雨の日も好きだけど、カメラもって出かけるのは天気が良い日に限るかも?

今度は雨の日にカメラ持ち出して出かけてみよう。

散歩後には恒例のオタク会。

今回も今回とて、観た映画や読んだ本の話をつらつらと。

先月会った後にお互い劇を見てきてるからその話をしたりと。お互い熱の入り方が以上でちょっと外から見たら気持ち悪かったかもしれない笑

でも、それが楽しいんだから仕方ないよな~。熱量が高い趣味の話は聞いてても話してもどっちも本当に楽しい。

 

3月4週目

4月に向けて、ちょっとした仕込みをした。

詳しくはもう少ししたら発表する。けれども、とにかく楽しかったな。

定休日も再びちょっとした仕込み。あと写真の撮り方を色々教えてもらった。

カメラの先輩ですな。丁寧に教えてもらって、とても楽しかった。

オタク友人とのオタク会もそうだけど、没頭できるものの話って楽しくって。

特にカメラはまだ始めたばっかりだから先輩氏の話が興味深くて、学びが多くて、ますますのめり込みそう。とにかくお金貯めて自分のカメラ買おうな、私。

 

そのあと服系の先輩に(同じ風呂屋の友達)会いに。

車を出してもらって、古着を見に行ってきた。これがまた楽しいんだ。

先の話と同じで、知見がある人の話は本当に楽しいし、私も学んで聞けるから余計に話が弾む。それに同じ仕事をしているから仕事の話もしたりと。

今後も色々一緒に何かできたら楽しいよねってなってなんかワクワクするよね。

 

3月5週目

年度末が近づくにつれて花粉が激しくなってる。今年は負けを認めて素直に病院に行ったので薬を飲んでる。でもやっぱり目が痒い。かゆ・・・うま・・・。

 

定休日には朝から色々動く予定だったのに起きたらもう15時で呆然とした。

でもよくよく考えてみたら、今月はのんびり寝るっていう事が出来てなかった。

慢性的な睡眠不足のまま動いてた気がするので、これはこれでよかったのかもしれない。

 

とりあえず気を取り直して、本屋に行ってしこたま本を買い込んだ。

その足でふらふら散歩して(毎週散歩してるな)、雨の中都電に乗り込んだ。

何故かって?今日は昼に二郎系ラーメン食べるつもりだったのにそれが頓挫したので夜にリベンジしに行ったのだ。大満足。めちゃくちゃお腹いっぱい。

 

そのあと近くの銭湯で風呂入って、また都電に乗って移動してもう1軒風呂入って。

帰ってきて溜め込んでたフリーレンを一気見した。フリーレンめちゃくちゃ良かったなぁ。

 

そんな感じで3月もあっという間に終わってしまった。

年明けてからの駆け抜けていく感が半端ない。もう3か月も終わったのか。

新年度だけど、変わらないところは変わらず、変わる所は変えて、少しずつ前に進んでいきたい所存。

 

がわ

思考と妄想の狭間(3月エッセイ②)

「ただ頭の中であれこれ物事を散らかすのは"思考"じゃなくて単なる"妄想"」

「その行為はもはや生産性はない」

「だから"ロジカル"に考える必要があるんだ」

 

全て前職時代の上司からの言葉。

言わんとすることは分かるし、"間違い"ではないんだろうと思う。

けれども、断定してしまっていてそれはさすがに暴論じゃないかって思う。

 

私は子供の頃から上司の言う"妄想"が得意な人間である。

でも、自分自身でそれを妄想とは思わない。よくある言葉であるけれども私は"脳内会議"と呼んでいる。

日常的に「ぼーっと」していても常に頭の中で何かを考えている。

それは悪い事から良い事、それこそ全く生産性の無い妄想まで幅が広い。

とにかく常に脳みそがフル回転しているようなイメージ。

 

例えば・・・人と「ラーメン」に関する会話をしていたとする。

きちんと「ラーメン」に関する会話をしながらも、頭の中では「チャーハン」の事を考えていたりする。

また、Aさんと私が会話をしている時、BさんとCさんが近くで会話をしているとBさんCさんの会話も聞こえていて、その会話に対して脳内でツッコミしたりする。

(もちろん、Aさんとの会話は普通に成立しています)

 

こういう事も上司から言わせれば妄想らしい。

脳の容量の無駄使い、さっさと止めた方がいいと。

ロジカルにアウトプットできないことはマイナスで役に立たないらしい。

 

いやうるせー!!!カタカナ使わねえで日本語使えや!!クソが!!!」

 

なぜ他人に自分の脳内の事を妄想なんて断定されないといけないのか。

そもそもここまで頭の中で常に何かしらを考えているのは気にしいだからだ。

一番良く発生するのは普通に会話をしている途中にちょっとズレた事を言ってしまったり、言い回しが良くなかったときにすぐに「ああ今の良くなかったな」って脳内で反省するんだ。それくらい、気を遣うとなるとおのずと脳みそは同時にAとBを思考する。

 

AとBから派生してCも考えたりする。

そうなると、もう思考は止まらない。

 

確かに、起こった事象への対応を考えているわけでもないし、それがとても役に立つのかと聞かれると誰かの役には立たないかもしれない。だから"妄想"と言われても仕方ないのかもしれない。

 

けれども、じゃあ全く役に立たないこと全てが妄想なのかって話なわけで。

それはあまりにも暴論過ぎません?

 

上司が某バーガーチェーン店のコスパについて考えてたんだよねって話をしたとき「いやそれてめーの定義上だと妄想やんけ」って何度思ったことか。

 

なぜ私の"脳内会議"だけが妄想と言われなければならないのか。

いや間違いなく"思考"だ。脳みそがフル回転しているんだから。

 

他人にとやかく言われる筋合いはないのに、そういう言葉ですら気にしてしまい結果的にまた脳内会議をしてしまうのだ。

 

他人の言葉に振り回されずに、ストレートに「思考しています」と言えるようになりたい。

 

がわ

アイデンティティ(3月エッセイ①)

「今日はめちゃくちゃいい天気ですね~」

「どちらから来られたんですか?」

 

会話のきっかけの一つとしてよく話題になると思う。

これ以外にも様々なきっかけがあると思うけど、その中で一つ「む・・・」と戸惑う物がある。

 

「どこ出身なんですか?」

 

なんてことない質問だし、きっかけとしてはパーフェクトな話題だと思う。

同郷であれば話が弾むし、知らない土地であれば教えてもらえるし、逆に知っていれば共感できるし。とにかく出身地に関する話題は全方位で対応できる万能な言葉な気がする。

 

けれども、私(に限らず他にもいると思うけど)は「む・・・」となる。

というのも私は明確な出身地という物があるようでないような気がしている。

アイデンティティの欠如だ。

 

母方の実家である福島の病院で産まれた(らしい)。

その後は東京に3歳まで居て、父の転勤で大阪へ。

大阪には約8年いて、再び転勤で埼玉へ。

それ以降はずっと埼玉にいるけれども、私自身は学生時代はほぼ神奈川に居たし今は東京にいる。

 

つまり明確に「ここの土地こそ私の出身地だ!」というものがない。

そもそも出身地も明確な定義がないし、曖昧なものだと思うけれどもそのなんとなしに使っている出身地は結構「アイデンティティ」を確立するうえで重要だと思う。

ある種の心のよりどころという物だろうか。

 

学生時代、熊本出身の女の子は「熊本の女を舐めないでください!」とお酒を沢山飲んでいた。東北出身の男の子はちょっと照れながらも嬉しそうに「訛りがなかなか抜けなくて」と言った。東京出身の人は揃って満面の笑顔で「東京の○○出身です!」という。大阪・京都・奈良という関西圏出身の人も東京の人に負けず劣らずで「○○出身です」という。出身地はその人の根幹でもあるからこそ、みんなが知らないうちに大事にしているんじゃないだろうかと思う。

 

では転勤族の私はどうなのか。

一番住んでいた時間が長いので「埼玉出身です」ということが多かったけれども、正直しっくり来ていなかった。だからと言って小学生時代を過ごした大阪出身というのもしっくりこない。幼少期に少しだけ住んでいた東京もしっくりこない。記憶が残っている土地はどこもかしこもしっくりこない。わがままな人間だ。

 

そもそも、そんな出身地なんかに拘る必要はないはず。

けれども、知らず知らずのうちにやっぱり血筋というかそういう物を大切にするようになっているんだと思う。だからこそ、「○○家~」なんて言い方もあるわけだし。

 

全く記憶がないけれども(産まれた土地である)、福島出身ですと最近言い始めた。

これが、びっくりするくらいしっくりくる。

子供の頃、福島の祖父母の家に行くのが楽しかった。もちろん父方の祖父母の家も楽しかったけれども自然あふれる福島の方がきっと性に合ってたんだと思う。

でも子供の頃は「福島出身」はしっくりこなかった。だからアイデンティティが迷子になってしまい、なんだか中途半端な感じだった。

 

それが30を過ぎて、改めて「福島出身」というとしっくりくるのだからわからないものだ。きっと自分の根幹というか芯というか、そういう気性が年を重ねるごとにしっかりと顕現して合うようになったんだと思う。

 

そこまで深く考える事もないかもしれないけれども、転勤族の人で出身地に悩む人が居たら産まれた土地から過去に住んだ土地を一つずつ当てはめてみて欲しい。きっとその中にしっくりくるものがあると思うし、また大人になればきっと「ああ、ここなんだな」っていうものが見つかると思う。

 

がわ