明日のたりないひとり
たりないふたりが12年間のコンビ活動を終了した。
今年の5月31日(奇しくも私のサラリーマン最終出社日で運命感じた)に配信のみで解散ライブを実施したけれども、12月12日(日)に一日限りで映画館で特別編の上映があった。
抽選になったけど、無事あたって映画館で改めて見てきた。
最後の最後を見届けてきて、胸が熱くなってブログに書き起こしてる。
たりないふたりとの出会い
初めてたりないふたりを見たのは日テレでやってい潜在異色という番組だった。
当時、深夜アニメを片っ端から見ていた中でたまたまチャンネルを回したらやっていてボケーっと見ていたら潜在異色が面白くて見続けて、出会った。
今となってはそれも一つの個性って言われるようになってきているけれども、当時は人間関係が苦手とか人と話すのが苦手とか異性が苦手とか飲み会が嫌いとかそんなことって言えるような空気じゃなかった。
でも、たりないふたりはそれらをテーマにして漫才をやっていた。
オードリー若林さんは人見知りの全盛期で、かなり尖っていたと思う。
何回キャンディーズの山里さんもしずちゃんに注目が集まり、やはりかなり尖っていたと思う。
人間として色々と「たりない」二人が、この世界で生きていくうえでどうするかであったり、どうやって飲み会や人間関係から逃げていくか、等がテーマだった。
かくいう私は当時19歳だったはず・・・20歳だったかな?
とにかく、私も私で今以上に生きていくのがしんどかった。
周りから求められる「真面目」っていう張り紙に答えないといけない。
親に絶対に迷惑はかけられないし、「飲み会」も(まだお酒飲めないけど)大学での人間関係を構築するうえでなぜか必須になってたから無理して参加してた。
でも本音で言えば、そんなことはすっ飛ばしたかった。
飲み会に参加しないで、一人で本を読みたかった。
友達の誘いに必ず全部乗らずに、一人で映画を見に行きたかった。
真面目だねって言われ続けてそれを裏切らないようにしていたけど、本当は全部ほっぽり出して一人で居たかった。
そんなこと、当然表に出して言えなかった。
だから、たりないふたりは衝撃だったし「自分以外にもこんな風に悩んでいる人っているんだ!しかも若林さんも山里さんも自分より年上で人生経験豊富なはずなのに!」ってすごく感動した。
たりないふたりと出会ってから
私自身は他の人と比べて(たぶん)、妬み嫉みがかなり大きくて妬み嫉みをガソリンにしてきた。特にたりないふたりを見る前なんかはそれが凄くて。
練習はサボるくせに、ちょっと運動ができるだけでレギュラーで試合に出てるやつとか。
格好良いor可愛いってだけでチヤホヤされて、授業サボっても楽して単位取れてるやつとか。
アルバイトのお金だけじゃ到底買えないようなブランド品を身に着けてるやつとか。
なんなんだよこいつら。意味わかんねーよ、いくら何でも不平等すぎるだろ。
絶対に社会人になるときにはコイツラよりも上に立ってやるクソくらえ!!なんて思っていた。
実際、勉強とかかなり頑張ってたと思う。
でも周りを見てもそういう人たちに対して嫉妬心や敵愾心を出している人なんて全くいなくて、「みんな人として出来てるなあ」ってそれはそれでまた気分が悪くなっていた。
大学で運動系のサークルに入っていたから、飲み会が結構な頻度であった。
正直に言えば、当時は参加したくなかった。さっさと家に帰ってみたいアニメあったし読みたい本あったし、一人でぼーっとしたかったし。
でも、あの大学生特有の「飲み会絶対に参加するっしょ!?」って空気に私は抗えずに毎回律儀に参加していた。
どうしても我慢の限界の時は必殺親のせいをつかって「親から今日は早く帰ってこいって言われてるんだよね~」って言って逃げてた。きっとこれ、ばれてたんだろうなあ笑
自分から見てきちんと人生を送っている人に対してはっきりと嫉妬心があった。
なんでこの人達はこんなに何も考えていない(実際そんなことないと思うけど)で生きていけるんだろう。意味わからんこいつらとは相容れないなって。
でも、たりないふたりを見始めてから少し変わった。
まず、妬みや嫉みが大きい人は自分だけじゃないんだっていう安心感。
飲み会とか人と一緒にいることが嫌で、できれば一人で居たいって思うのは自分だけじゃないんだっていう安心感。
特に山里さん、若林さんはたりない二人の前から好きだったからこそそんな二人は私の人生の指針になった。
元々山里さんのワードセンスばっちりの突っ込みには憧れがあった。
何か使えそうな言葉があったら山里さんの真似してノートにメモしてた。
今も、ノートじゃないけど「これ使えそうかも」って思った言葉は記録してる。
若林さんはオードリーの漫才がとにかく好きで、当時の若林さんの突っ込みも切れのあるワード突っ込みでこれまた私はあこがれていた。
だからこそ、たいりないふたりに出会う運命だったのかもしれない。
とにかく、たりないふたりを見始めてからは少しだけ心が広くなった気がする。
何かあっても「まあ自分はたりないふたりと同じ感覚あるし、きっと次のたりないふたりで同じようなテーマで漫才やってくれるだろうし」みたいな心からの安心と支えになってた。
たりないふたりは私に自己肯定感をもたらしてくれた。
超余談だけど、二人が理想の女性として勝手に妄想した架空の女性が詩織さんで、二人の大ファンの佐藤栞里さんが二人に手紙書いたときに最後に詩織よりって書いてたの最高だった。
あの二人が妄想した理想の女性は私にとっても理想の女性だった笑
たぶんたりふたファン全員の理想の女性。
たりないふたり復活
たりないふたりは2014年の「もっとたりないふたり」の後、約5年間活動していなかった。
っというのも、山里さんも若林さんもテレビで見ない日はないくらいお忙しそうだったし、もう二人ともたりていない部分なんてないのかななんて感じたりしていた。
そもそも「もっとたりないふたり」の時点で二人の「たりない」部分が最初の頃のたりないふたりから微妙に変わっていっていたし。
人間的にたりないっていうよりは、なんていうんだろう・・・MCをやる芸人としてたりないとか、テレビにでるにあたってたりないとか・・・そんな感じ。
それでもラジオでは二人ともキレッキレで「やっぱりまだまだ二人とも足りてないじゃん!」って私が変わらず安心したのは内緒ですが。
そんな最中に、たりふたファンとしては腰を抜かしそうになるニュースが。
山里さんが女優の蒼井優さんと結婚すると。
キューピッドはまさかのしずちゃんと。
「!?!?!?!?」
ってなった。
山里さん著の「天才はあきらめた」を読むとわかるんだけど、山里さんとしずちゃんとは異常なくらい仲が悪い。それも全部山里さんの妬み嫉みが100パーセント悪い方向に働いているからっていうのが原因で。それでしずちゃんも当然山里さんの事よく思っていない。
そんな中でしずちゃんがキューピッドで山里さんが結婚。
しかも女優の蒼井優さんと。
「こうなったら女優とでも結婚しねーと」みたいなことを言っていた山里さん、さすがですってはならないよ!!マジかよやまちゃんが!!!!
もう満ち足りちゃうじゃん!!!って。
ただ女優さんと結婚しても山里さんは山里さんのままだった。
下から関節決めるし、自虐するし、妬み嫉みはもちろん健在。
私としてはなぜか安心したけど、世間的には違ったっぽい。
こんなビックニュースが飛び出てたりないふたりが動かないわけがない。
2019年にみなとみらいでさよならたりないふたりが開催(見に行けなかった・・・)
この後すぐに若林さんがまさかのいい夫婦の日に結婚するなんてね・・・。
山里さんの結婚も驚いたけど、見えない嫁が見えてきて、帰りにゼクシィ買って綺麗に伏線回収した若林さん流石でした。そしてそれに嫉妬する山里さん。
うーん、たりないふたりっぽいよね!
さよならたりないふたりはHuluで配信されてからすぐに見た。
圧巻だった。
これぞたりないふたりっていうすべてが詰まっていた。
でも、ちゃんと大人になってた。
特に若林さんが色々な事を経験されたり、考えたりして一歩前に出た感じがあった。
山里さんは結婚もしたけど、色々とまだ迷っている感じがあった。
でも結局二人とも性根のところではまだまだたりなくてああって安心したり。
私もこの頃になると、自分の妬み嫉みと上手く折り合いをつけていた。
ガソリンとして必要な時は使うけど、それ以外は上手く隠す。
一人になりたいときは素直に言う。それで引かれたり関係が拗れたらそれまでだって。
こう思えるようになったのもたりないふたりのおかげ。
「さよなら」とタイトルについていたけど、この後すぐにまた会える。
たりないふたり春夏秋冬
2020年になって、「たりないふたり春夏秋冬」という番組が始まった。
日テレが味をしめたのかな!?笑
新型コロナの影響で思いっきり漫才ができないからいつか漫才ができる日が来るまで、漫才の設定を二人が考えるって番組。
これについては多くはかけない。
この春夏秋冬を見てからじゃないと明日のたりないふたりにつながらないから。
漫才じゃないにしても、二人の掛け合いそれ自体が漫才みたいで凄く楽しい番組だった。
この時私は本格的に転職しようかな~なんて思っていた。
会社内で仕事もしていないのに自分より給料が良い人達を見ていて、「意味わからんこんなクソみたいなの」ってずーっと思っていたから。完全にこれも妬み嫉みだw
ただ、このガソリンが良い方向に稼働して転職して今は凄く楽しく仕事をしている。
この時は山里さんの妬み嫉みが遂に若林さんに向かいだして、たりないふたり最大の危機だった。
明日のたりないふたり
そして、明日のたりないふたり。
解散ライブ。何も多くは言わないので、是非とも見てほしいです。
さよならの時とは違って、未来に向かっていくたりないふたりだった。
私もたりない武器として竹槍を持ってこれからも満ち足りることない、たりない世界で生きていくんだって決心した。
たりている世界に簡単に行けるヘリコプターは存在してなくて、たりてないけど、でも闘い方や生き方はある。
たりない私達から見たたりてる世界はカラフルでキラキラしていて、とても憧れる。
でも、たりている人達からするとたりない私達の世界も羨ましいのかもなんて。お互いある種のないものねだりかもしれない。
たりないふたりは解散してしまったけど、心の中にはずっとたりないふたりがいるし、新たに託されたたりないふたりがいるから私達たりない世界の人も安心していける。
明日のたりないひとり
たりないふたりが羨ましいと思うことが一つ。
それは、山里さんと若林さんが出会えたこと。
これは物凄く羨ましい。
曲としてたりないふたりをリリースして今や売れっ子のCreepy Nutsも羨ましい。R-指定さんとDJ松永さんが出会っているから。
たりない世界にいる私は、まだたりない相方に出会えていない。まだたりないひとりだ。
いつの日か、たりない相方に出会えるのかなとか考える。
もし出会えたら少しは満ち足りるのかな。
それとも二人合わせても全然たりないかな。
いつか、たりない相方に出会えるように竹槍振
り回しながらたりない世界で生きていくぞ〜
あー、たりなくて良かったぁー。
がわ
好きなもの(こと)に対するモヤモヤ
忘れもしない、初めてテレビでオードリーの漫才を見たとき。
すごく面白いし強烈で、「この人達めっちゃ面白い!!」って。
それからM-1で準優勝して一気に売れっ子に。
今もテレビにラジオで大活躍してるお笑い芸人。
私はそんなオードリーが好きですがここ最近若干のモヤモヤがある。
最近というかここ何年かだと思う。
まず、ラジオリスナーのことを指すリトルトゥースっていうのが随分と表に出るようになったなあって。
SNSが爆発的に発展したってのが大きいとは思う。だけど深夜のラジオを聞きながら「きっとどこかに同じように聞いてるリトルトゥースがいるんじゃないか」ってワクワクしてたあの感覚はもう味わえない。
何よりひっそりと秘密というか、隠れ場所というかそういうところが、いわゆる陽キャ達にバレて荒らされてしまったっていう感覚がある。
好きという人が増えるのは良いこと、それをどんどん広げるっていうスタンスの人もいるけどなんでもかんでも増えれば良いものじゃないし、発信して広めれば良いものじゃないと思う。
広がれば広がるだけ濃度は薄くなるし、ひっそりとしていたからこそ良かったものがなくなるから。
それだけじゃなくて、若林さんは本も書かれている。
若林さんの本はすごく刺さるし、素敵でありながらえぐってくる文章が多いから私ももちろん好き。
でも、それを神格化してる人がいるのがモヤモヤする。それを完全に拠り所というか依存先にしてる人がいてまたモヤモヤする。
正直、近年のこのような神格化・依存先にしているということが気持ち悪すぎてSNSとかで好きって言いたくなくなっちゃった。
番組とかも昔ほど追わなくなってしまった。
ラジオも変わらず聞いてるけど、リアルタイムでは聞かなくなってしまった。
こうやって、昔から好きな人って離れていくんだろうなって思った。
こう言うと「時代にあってない」とか「アップデートできてない」とか「多様性が」とか言われたりするけどそんなんクソくらえ。
なんでも変われば良いもんじゃないし、変わらんほうが良いものっていうのもある。変わっていくことが悪いわけじゃないけど、本人じゃなくて周りが勝手に変えていくのはクソ以外のなにものでも無いと思う。
実はこれは銭湯とかサウナについてもたまに思っちゃう。
人間なので承認欲求や自己顕示欲はみんなある。
そんなもんは当たり前なんだけど、そればっかり出てる人が多いなって。
あとさっきの話とリンクするけど、銭湯やサウナを依存先にしている人が多すぎる。
なんでもかんでも全てサウナと絡めようとしたり、すぐに銭湯がーって言い出したり。
それだけ広がっているという見方ではすごくいい方向だとは思う。けどその分濃度は薄い。
銭湯やサウナを紹介する動画のはずなのに、出ている人にばっかりフォーカスがされていたり露骨なエロに走ってたり。
それってもはや(出てる)人の紹介で施設はおまけだよね?って思うことが増えた。
大好きなものだからこそ、ここにモヤモヤする。
より多くの人に楽しんでほしいし、多くの人に良さを知ってもらいたいけどそれがすべてじゃないし、ましてや依存先にされたらたまったもんじゃない。
どちらも日常の延長であり、それ以外のものも含めて生活を楽しんでほしい。
でもそれが全てって感じがなんか嫌だ。
モヤモヤする。
こんなモヤモヤ、消えることなく今後も増えていくんだろうなあ。
オードリーも銭湯・サウナも好きだからこそモヤモヤが消えない。どっちも好きであることはこの先も変わらないと思う。
でも「好き」の質や感覚は変わっていきそうだなと思った。
何でもかんでも広まれば良いっていうのは違うって事、多様性って言葉が軽く扱われすぎてるしそれを逃げの言葉として使ってる人が多すぎて嫌になっちゃう。
そんなモヤモヤの話でした。
夜が明ける(読書感想)
西加奈子さんの5年ぶりの長編『夜が明ける』をやっと読んだ。
発売日に買ったけれども、西さんの作品はしっかりと構えて読まないと色々とごっそり削られてしまうことが多々あるので読むタイミングを見計らってた。
でも、それ以上にもう早く読みたいって気持ちが勝ってしまって風呂掃除あとにほぼ勢いで徹夜みたいな感じで読み終えた。
一番最初に出てくるのは「やっぱり西さんは登場キャラクターの人生を描くのがめちゃくちゃ上手いし、妙なリアルさがあるなあ」だった。
西さんと言えば、直木賞を受賞したサラバ!がかなり有名だと思う。
そのサラバ!も登場キャラクターの人生を描いた作品で、これが心に刺さりつつもエンタメ作品として群を抜いて面白かった。
今回の『夜が明ける』はある種社会問題にも切り込んだ話だった。
貧困問題やジェンダー問題、容姿に関する問題等々・・・様々なところに切り込んでいた。ただ、それが不快に感じることはなくむしろ考えさせられた。
本作はダブル主人公って言っていいと思う。
一人はその容姿や吃音から少し周りの人から距離を置かれていたが、あることがきっかけで自分の人生の方向性が決まる深沢暁。
そして語り部として物語を進めていく「俺」。
高校で出会った二人が大学進学や就職を得て、それぞれの道を歩んでいく。
そのそれぞれの道が対照的だった。
語り部たる「俺」は高校卒業後、大学進学をしてテレビ業界に就職する。
いっぽう暁は進学はせず劇団に入団して・・・というところ。
詳しく感想を書こうとするとどうしてもネタバレになってしまう・・・笑
暁は「俺」がきっかけでとある役者になりきろうとする。
それが人によっては人生がゆがんだ、道がおかしくなったと思われるかもしれないけども暁からしてみればそれは間違いなく救いだった。
周りから一線を引かれてしまう容姿に吃音。
それでも「俺」がきっかけで暁は人生に意味を見つけたんだと思う。
ただ、その道のりは大変で。家庭が貧乏ということ、常に周りに気を使い続けていること。
それでも暁はその役者になるため、なりきるための道を進む。
一方の「俺」。
高校卒業前にして父親が亡くなってしまい、大学には奨学金を使って入り常にアルバイトをしていた。
就職はテレビ業界であったが、局ではなく小さな制作会社。
私自身はテレビ業界の事を詳しく知らないけれども、実際に働いていてた友達に聞いたところだと所謂ブラックが多いと。
「俺」が就職したところもまさにそういう会社。
旧態依然とした会社でサービス残業、言葉の暴力は当たり前の世界。
そこで「俺」は踏ん張っていくもどんどんすり減って行ってしまう。
こういう話の中に貧困問題やジェンダー問題が複雑に絡んでくる。
特に男だから耐えないといけないみたいな風潮に切り込んでいたのは凄かったと思う。
誰かに「助けてください」って言っていいんだって自分自身も肯定された気がする。
どうしても見えないところでのしんどさや辛さっていうのはあって。
でも現代日本にはいまだにそれを表にすることは弱いという空気がある。
私自身もそういう風に思ってしまっているところもある。
けどとにかく「助けてください」って言っていいんだと。
これは小説であり物語でもあるけど、現代日本の問題とリンクしていると思う。
だから、少しでも悩んだり疑問に思ったりしていること。
表立って言えないけど、心の片隅に何か引っかかりがある人に読んでもらいたい。
きっと心に刺さると思うし、少しだけ勇気がもらえると思う。
つくづく、西さんの作品が好きだなあって思った。
また時間がかかっても良いから、新作の長編が読みたいなって思っている。
がわ
さようなら20代、こんにちわ30代
今日は20代最後の日。
明日30歳とはじめましてをする。
ちょっと緊張しなくもないけど、いつもどおり。
でも少しだけ、「あーもう30歳かー」なんて思ったりしている。
子供の頃に思い描いていた30歳には遠く及ばない。
30歳なんて子供からするとすごく立派な大人で、結婚もして子供もいて、もしかしたらペット飼ってたりなんかしてるかもって思ってた。
現実は結婚はしていないので当然子供もいない。
ペットは飼いたいけど飼えるところに住んでない。
こんな風に書くとネガティブに思うかもしれないど、ところがどっこい全くそんなことは無い。
子供の頃の私よ、今、多分人生で一番楽しんでるぞ。
まさか30歳を目前として、会社を辞めて銭湯で働くことになるなんて想像もしてないだろう?
子供の頃からお風呂が好きだったから「えー!大好きなお風呂で働いてるの?」ってなるかもしれないけど。
結婚はしてないけど、たくさんの友達に恵まれてすごく楽しく濃い日々を過ごしているぞー。
あと30歳ってすごく大人(今も大人だって思ってるけど)そんなこと無い。身体的には大人になってるし、精神的にもちゃんと成長はしているから安心してほしい。
けどそれ以上に見識が広がって、色々なことに興味を持つ幅ができて、それを体験するために行動ができる。つまり大きい賢い子供みたいなもんだ。
Creepy NutsのRさんが昨年の武道館ライブで赤ちゃんって無敵、天才なんですよ的なことを言っていたけどまさにそのとおりだと思うんだよ。
さっき書いたみたいに大人になると色々な幅がでるから、色々なことをやろうと思えばできる。
ただ、賢い子供っていうのは考えることができるがゆえに自分で自分の行動を制限して、可能性を消してる。
今30歳を目の前にした私は、もう1回子供の頃の心を取り戻して天才になって(実際に天才ってわけじゃないぞ?)やりたいこと、興味あることにどんどん触れていこうと思っているんだ。
だから、子供の頃の私からみると30歳になる私も大差ないかもしれないな。けど安心してほしい。
ちゃんと色々と成長した上で、子供の頃の心を取り戻してるだけだからな。見た目も中身も大人になったけど、そこにスパイスとして子供の頃のあの無邪気で無敵で無鉄砲な心を入れてるんだ。
ただ無茶ができる20代とはおさらばすることになる。30代は30代のやり方があるだろうからまずはそれを模索していくことになるかな。
いつになっても理想の大人にはなれていないけど、なれていないからこそ「なにくそー」って駆け抜けられるってことを知っておいてもらいたい。
じゃあな子供の頃の私。
こんにちは。30歳になる私。
これからもよろしく頼むわ。
20代最後の私より。
追記
なんか書いてたら手紙テイストになっちゃったw
まあ良いや。とにかく子供の頃に思っていた理想の30歳にはなれていないけど、今自分が思う理想の大人には近づいてると思うから。
はっとした
「最近、仕事したくないな〜とか仕事行きたくないな〜って思わなくなったんじゃない?」
人からの指摘ではっとした。
銭湯で働き始めて、丸3ヶ月が経った。
正確に言えば4月から色々とやっていたけど完全に入り込んだのは7月からなので3ヶ月かなと。
この期間中、前職ではほぼ毎日思っていた「仕事行きたくないな〜」という気持ちが1回も出ていなかった。
まだ3ヶ月だからだ!とも思うかもしれないけれども、前職のときは新卒で入社して1週間後には「会社行きたくないなあ」って思っていたからこれはある種すごいことだと思う。
もちろん、憂鬱になることはある。
例えば、雨が降るとお客さんの数が減るし、色々と考えてやってみるけどその効果が出ているのかどうかがなかなかわからないし。
すぐにお客さんが増えるものでもないからと言われていても、やっぱり客数が増えないととっても不安になるし憂鬱にもなる。
でも、不思議と仕事したくないなとは1回も思わずここまで来ている。
この指摘をしてくれた人曰く、今年の4月(会社に辞めますと伝えたころ)くらいから色々と変わったとのこと。
前向きになったと言うか、人間らしくなった?って言われて思わず笑ってしまった。
そういえば、前職の同僚からも「大変そうだけど、楽しそうでそういう仕事が性に合ってたんじゃね?」なんて言われたな。
千代の湯の運営をやっていて、悩むしプレッシャーもあるし、ひえええってなることもあるけど「どうやってそれを乗り越えるか」って無い頭つかって考えて行動して、反省してっていう繰り返しがなんだかんだあってるんだと思う。
でもいつかやっぱり仕事したくないなって思うときが来るかもしれないな〜人間だし。
でも仮にそうなったとしても、自分で沸かしたお湯に入れば「あ〜この気持ち良いお湯をもっと色々な人に知ってもらいたな〜」ってなると思う。
前職のときは「トライ&エラーが大切。だから自分で考えて行動しろ」って言う割には「それは違う。そうじゃない。それはだめ(理由言わない)」とあれこれ難癖つけられて自分の考えとかが通らなかった。
終わってみて「ほら!私の言った通りにやってれば!」って思うことが何度もあった。
千代の湯では、経営を持っている梅の湯三代目が「とにかくやってみな」と言ってくださっていて、明らかにおかしいこと、やってはいけないこと以外は基本的に考えたことをやらせていただける。
何かあったときには相談して考えてまた実行する。
前職で散々言われていた「トライ&エラー」ができてることが精神状態にも影響しているんじゃないかなあと思う。
ただ、さっきも書いたみたいに結果がでないといけないっていうのはあるから色々と考えないと!!って焦りもある。
でも、千代の湯は水が抜群に良くてトゴールも最高に気持ち良いからそれを伝えていけばきっともっと色々な人に来てもらえると思う。
だから頑張るぞー!!って気持ちも強い。
書いていてまとまらなくなっちゃった笑
とにかく、人から指摘されてはっとすることがあるよねってお話でした。
がわ
大きな心境の変化
10年前、まだ20歳だった私。
大学生であり、サークル活動や研究室(理系のため)での活動等小さい世界ながら毎日が充実していた。
一方でこの頃はまだまだ将来どういう方向に進むかが決まっていなかった。
小学生時代から獣医師になることを夢見ていたが受験では失敗し獣医学部の別の学科に進学をしたため新たに夢を見つける必要があった。
漠然と動物に関わる仕事がしたいと思い進学したけれども、学んでいくうちに根本的に誰かの役に立ちたいという気持ちが強いことに気がついた。
だから研究室では必死に誰かの役に立つかもしれない研究を続けていた。そうした後に研究が楽しくて楽しくて大学院に進学することを決心した。
周りが就職活動をしている中、院試に備えて勉強と研究を黙々とやっていた。
そういう事もあり、無事に大学院へ進学することができた。大学院では学部生時代の研究の延長を行っており、いつしか就職するのであれば研究職として就職したいという気持ちが芽生えていた。
いやこれは芽生えていたというよりも芽生えざるを得なかった。本音を言えば修士の更に上の博士課程に進学したかった。
ただ、親になんて話そう・・・と悩んでいるうちにあれよあれよと修士の2年は進んでしまい結局就職活動をすることに。
就職活動では、自分のやりたいことややってみたいことではなくてバックグラウンドにある自分がやってきた研究をベースとして会社を受けた。
それが当たり前だと思っていたし、やりたいことなんてできるわけない、自分にそんな能力はないと思っていた。
そうした就職活動の末に内定が出たのは2つ。
九州の方の会社と東京の会社。
ただし、内容は大きく違い研究ができるのは九州の会社だった。
どちらに就職するか迷った私は色々な人と話したりして東京の会社に決めた。
ただこれの大部分は当時付き合っていた彼女の意見が大きかった。
「どこに行っても、私はついていくよ」
と彼女は言った。その彼女は東京で働いていた。そんな彼女にどこにでもついていくと言われてしまい青臭いが先の未来を想像してしまい東京にいたほうが彼女自身も楽しいだろうと考えた。
ある意味私は自分の意志だけじゃなくてそういう外側の要因で就職を決めた。
明確に自分の意志があるわけでもなく、さらに自分の能力を勝手に自分で決めつけて『あれはできない』『これもできない』『自分にはそんな能力もない』『やりたいことは仕事以外のところでやればいい』と思っていた。
そうして就職をして働き始めた矢先に彼女とは別れた。
人生なんてそんなもんであるわけで、でも当時は『あれ、なんで東京で働くことにしたんだっけ・・・』なんてかなり思い悩んだ。
仮に九州の会社に就職していれば少なくとも学生時代にやっていた研究の延長のような仕事ができていた可能性が高かった。例えそれが本当にやりたいことでなかったとしても、学生時代の研究の延長のような仕事であればまた違った気持ちになっていたと思う。
でも、当時の私は自分の気持ちよりも付き合っていた彼女の気持ちに寄り添う選択をした。それが間違いだったとは今も思わないがそれなりに苦しんだ。
それでも仕事はしなければいけないわけで。
生活のため、生きていくためと自分に言い聞かせながら仕事をしていたがいつしか『自分がやりたいことってなんだろうな・・・』と思い始めた。
その頃、あちこちの銭湯を巡ることが趣味で銭湯がどんどん減っていることを知った。
どうにかこれ以上銭湯が減らないようになにかできないかなという気持ちの元、このブログをやり始めた。
それと並行するように仕事に対する熱量は日に日に減っていってしまっていた。
根本的に私の行動原理は【誰かの役に立ちたい】というもの。
もちろん当時の仕事も人の役には立っていたけれども、相手の顔が見えない仕事であったため達成感のようなものはなかった。何より、なんのために仕事をしているんだろう・・というネガティブな気持ちが日に日に増していった。
一方、趣味の方ではどんどん銭湯の方にのめり込んで行くようになった。
毎週土日は遠出して普段は行けない銭湯に入りに行ったり、銭湯関係のイベントやオフ会に参加してみたりと積極的に動くようになっていった。
そうしていつしか私は、『自分のやりたいこと、やってみたいことをやってみてもいいのでは』と思うようになった。
趣味関係で出会った多くの方々が否定をしない方たちだった。また、多くの人達が自分の好きなことを好きとはっきりと言い、好きなことをやっていくことってダメじゃないんだむしろ良いことなんだと思えるようになったのが非常に大きかった。
運命のいたずらか、もし学生時代の自分が九州の会社への就職を選択していたら、この方々と出会うことはなかったと思う。
そうなると、私は自分の気持ちを受け入れ素直に行動することができなかったと思う。そして漠然と人の役にたちたいと思いつつも何も行動ができなかったと思う。
【誰かの役にたちたい】というのは紛れもない本音ではあるけれども、それ以上に親に迷惑をかけてはいけない。
親を安心させなきゃいけないと自分で自分に呪いをかけていた。つまり優先すべきは自分の気持ではなくいかにして周りを安心させるか、親を安心させるかだった。
この呪いが10年の間に出会った多くの方々の言葉と共に解け、大きな心境の変化をするようになった。
『自分のやりたいことをやりたい!』
とはっきり声に出して言えた。
自分のやりたいことややってみたいことを声に出し、かつ行動を起こすまでに10年を使ってしまった。
けれどもこの10年は非常に大切でかけがえのない宝物でもある。
そうして、私は今私はこれ以上銭湯が減らないようにという気持ちに従い銭湯の中に入り込み銭湯で働いている。
一方で10年どころか小さい頃からずっと変わらない事もある。
それは、やはり【誰かの役にたちたい】という気持ち。
銭湯ではお客さんの顔が見えるため、何か新しいことをやったときに直ぐに反応が見れるためモチベーションにも繋がっている。
何よりも、銭湯を必要としている人達のために営業をできているといことで少しだけかもしれないけれども誰かの役に立てているということが嬉しいしやりがいとなっている。
10年を振り返ると、自分自身に正直に嘘をつかないでやりたいことややってみたいことをやるために行動に移せるようになった。
また誰かの役に立ちたいという私自身の行動原理は全く変わらない。たぶんこの行動原理はこの先もずっと変わらないと思う。
そしてこの10年で変わった心境はすごく前向きな変化だと思う。
これからも前向きな心境の変化ができるように、日々楽しく過ごしていきたい。
がわ
写真展の話
お久しぶりになりました。
千代の湯店長のがわです。
さて、既にTwitterでは告知を出させて頂きましたが千代の湯で初めて?となるイベントをやります。
《告知!拡散希望!》
— ぴーち🍑9/22〜10/6までご近所銭湯写真展開催 (@5VQndxxK0ttXbbm) 2021年9月8日
9月22日〜10月6日荒川区の千代の湯さんであらかわご近所銭湯写真展を開催します🥺💕撮り続けた銭湯の写真を浴室や脱衣所に展示します!ひろーーいお風呂で写真見ていただけると嬉しいです!@chiyonoyu1010 @gawa002_7715
#銭湯 #写真展 #ご近所銭湯写真展 pic.twitter.com/35nctdk5LS
こちらです!
その名も『あらかわご近所銭湯写真展』です!!
名前の通り、荒川区のご近所銭湯の写真展になります。
事の始まりは、ぴーちさん(今回の写真撮影者の方)がTwitterでいつか銭湯で写真の個展をやりたいと呟いていたんです。
ぴーちさんとはえごた湯さんにてお会いしており、素敵な写真を撮られる方で実際に千代の湯も写真を撮って頂いていて、「やっぱり素敵な写真だな〜」って思っていました。
さらに丁度、千代の湯の空いているスペースを何かに使えないかな……と考えていたこともあり「千代の湯を展示場所として写真展やりませんか」とお声をかけさせて頂きました。
正直、ご時世的にもやっていいものかどうか迷いましたし、今も迷っていますがせっかくの機会だし、かつ写真展示のみでアルコールや食事の提供は一切しないのでやってみようと言うことになりました。
ぴーちさんが撮られる写真はどれも素敵な写真なのでお近くに来る用事があればふらっと来て頂けると嬉しいです。
特別開放日に来られる方には下記ご協力をお願いします。
・体調不良や発熱がある場合は来店を控えてください
・複数人での来店はしないようにお願い致します
・マスク着用必須
・アルコール消毒の徹底
・検温
・展示を見る際はお喋りをしない
・食事禁止(飲み物は大丈夫です)
・ゆっくり見て頂くのは大丈夫ですが、長時間滞在は避けてください
・展示品は触らない
荒川区には沢山の素敵な銭湯があります。
今回展示されるのはまだ一部ですがこれをきっかけに荒川区に限らずご近所の銭湯に行って頂けると嬉しいです。
がわ