人生、不十分

大好きな銭湯のこと、日常のこと、考えなど

「なんかいいな」の魔法(6月エッセイ①)

千代の湯という銭湯の運営をやり始めて丸3年が経過し、4年目に突入して早2か月。

特に大きく変化をしたところはないかもしれないけれども、よくよく見てみるとほんの少しだけ変わっているところがあったりする。

 

そんな風に少しずつ変えていき、色々な事が層になって重なればいいなと思っている。

 

先日マニアなツアーを千代の湯で実施した。

これについては昨年も同じ事を開催しているので、慣れた物です(?)

しかし、皆さんにお話しする内容は全く同じというわけでもない。

というのも、私自身も人間なので日々変化をしている。

特に物事に対する考え等は小さいところから大きいところまで変わっていく。

 

「今後どういう銭湯にしていきたいか」という質問を受けると、いつもその時に思っている事をなるべく包み隠さず、でも言葉を選んで伝えるようにしている。

 

今回、私は「なんかいいな~」って思ってもらえるような銭湯にしていきたいと伝えた。これは実は今回のマニアなツアーだけでなく、ここ最近受けていた取材やインタビュー等でもこのように言っている。

 

いつから「なんかいいな~」という方向に進めていこうと思ったのかははっきりとはしない。けれども、沢山の思考を重ねていくうちに「良い」事を無理に言語化する必要が無いんじゃないかと思うようになった。

 

これについては明確なきっかけがある。

昨年は銭湯やサウナ好きの友人達と「ゆないと」というユニットを組んで、推し施設について熱く語りつくした同人誌を作成した。

 

同人誌を作成する際に自分が大好きな銭湯について言語化を試みたとき、「うまく言い表せないけどなんかいいんだよな」や「とにかくなんか好きなんだ」とまず最初に思った。そこから「なんかいい」の「なんか」がどこなのかと順を追って言語化していった。

 

ということははっきりと意識しない限り自分の好きや楽しい等は「なんかいい」という大きい括りになるのかもしれないって思った。

 

この「なんかいいな」は曖昧過ぎるのかもしれないけれども、その一方できっと沢山の「いいな」が重なっているから瞬間的な言語化ができないんだと思う。

 

「よい」の層がミルフィーユのように重なる事で一つ一つの「よい」は小さいかもしれないけれども最終的には大きく、でも瞬間的な言語化が難しい「なんかいいな」になるんだろう。

 

学生時代にバイトしていたラーメン屋のマスターの知り合いである料理人の方が言っていた言葉が蘇ってきた。

 

「コクとかうま味とか深味って、味の重なりなんだよね。一つの味だとそれは生み出せなくて、いくつもの味が上手く重なる事でコクが出て"美味しい!”になるんだよ」

 

きっと料理だけじゃなくて銭湯も同じだ。

お湯が良いとか、綺麗とか、面白いドリンクが置いてあるとか、接客が良いとか。

それ一つだけじゃなくて、いくつもの「よい」を重ねるからこそよりよくなる。

 

だから千代の湯では来てくれたお客さんに「なんかいいな~」と思ってもらえる魔法をかけられたらいいなと思う。とにかく「なんかいんだよな、千代の湯って」というこの方向性はきっと私の性格にも合っていると思う。ここにきて方向性がきちんと固まってきた。

 

それだけじゃなくて、プライベートとかでも一緒に何かやったり遊んだりする人にとって私が「あいつってなんかウマが合うんだよな~」と「なんかいい」と思われるような人になっていきたいと思う。

 

コクのある味が出るような人間を目指して。

気難しい爺さんにはならないぞ~~~!!笑

 

がわ