人生、不十分

大好きな銭湯のこと、日常のこと、考えなど

感じる心を忘れない

金曜日の仕事終わりの電車。

普段ならkindleで本を読みますが、この日は何故かスマートフォンを見ていました。

ラインの通知がありました。

母からのライン。

「今日、おじいちゃんが亡くなりました」

 

こんばんわ。

金曜日に実際にあった事です。

電車に乗っていましたが、気分が悪くなってしまい一度降りました。

自分に近しい人が亡くなることがとてもしんどかったです。

金曜日は仕事でも、ミスをしたわけでもないのに怒られ心身共にしんどく、死にたくなっていました(メンヘラじゃないですよ?)

 

さて、友人から言われたことがあるのですが私は感受性が非常に豊らしいのです。

感受性というよりも、共感覚性と言うかもしれません。

誰かが「痛い」と言えば私も何となくどこか痛くなったりしてしまう。

誰かが「悲しい」と言えば私もなんでか悲しくなってしまう。

誰かが泣き始めると私も自然と涙が出てくる。

文字に書き起こすと完全にメンヘラですねwwww

 

誰かが悲しんでいたりするのが極端に嫌なんですよね。

昔お付き合いしていた方からは、八方美人でいつかつぶれると思うと言われていました。結構一途なんですけどね・・・笑

私自身もこの感覚がこのまま続けばいつか心から壊れていくんだろうって思います。

しかし、「感じる心」を忘れたくないのです。

忘れるではなく「なくさない」が正しいかもしれません。

何か感情を揺さぶる出来事があった時には我慢せずにそれを表現できる人間でありたい。私はそういつも思っています。

誰かが悲しんでいるのにそれを無視すること、痛みを感じている人にちょっと声をかけること、余計なお世話になるかもしれませんが、そういう機微を感じ取れるこの感覚は貴重なんだと思います。

 

亡くなった祖父は無口で、ひょうきんな性格でいつもお酒を飲んでいました。

私が長期休みに遊びに行くと、体がしんどいはずなのに車を運転して駅まで迎えに来てくれました。

祖父は何か趣味があったわけではないですが、田舎なので畑仕事や川での魚の捕まえ方等大自然での過ごし方を教えてくれました。

家が賃貸だったためペットが飼えなくて、自然もそんなに多くないところに住んでいたのに動物が好きになり、自然を大切にしたいという気持ちが大きくなったのは間違いなく祖父の影響だった。

20歳を過ぎて、従姉の結婚式で祖父と一緒にお酒を飲みました。

昔はもっとたくさん飲んでいたイメージだったのに、量が少なかったのを覚えています。

 

私は大学院もあり従姉の結婚式以降、なかなか祖父に会いに行けませんでした。

そして、先週母との予定が合い、祖父に会いに行ったところだったんです。

入院しており、目を開けるのもしゃべるのも大変な状態でした。しかし、私が声をかけると「ああ。ああ。」としゃべってくれました。

帰り道、もう少しで祖父が誕生日だと母から聞き、なんとか誕生日までは・・って話をしていました。

 

そんな出来事から一週間。

あまりにも急すぎる連絡でした。

「私が会いに行って何か悪い病気でも移してしまったんじゃないだろうか」

「私が会いに行かなければ、まだ生きていたんじゃないだろうか」

色々な感情がぐるぐる回ってしまいます。

亡くなる前に祖父に会えてよかったねと言われましたが、それは単なる自己満足かもしれません。

心の整理がつかないのです。

私はどうすればよかったのだろう。私の自己満足のために祖父に会いに行ったけれども本当に良かったのだろうか。

私が会いに行かなければよかったんじゃないだろうか。

 

心が辛いのです。

一晩経った今もしんどいです。

どうすることが正解だったのか。

後悔が多いです。もっと元気な時に祖父に会いに行くべきだった。

 

まとまらないので終わり。

 

次はまた、いつも通り銭湯の記事書きます。

こういう時こそ、普段通りに過ごさないと。