人生、不十分

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アイデンティティ(3月エッセイ①)

「今日はめちゃくちゃいい天気ですね~」

「どちらから来られたんですか?」

 

会話のきっかけの一つとしてよく話題になると思う。

これ以外にも様々なきっかけがあると思うけど、その中で一つ「む・・・」と戸惑う物がある。

 

「どこ出身なんですか?」

 

なんてことない質問だし、きっかけとしてはパーフェクトな話題だと思う。

同郷であれば話が弾むし、知らない土地であれば教えてもらえるし、逆に知っていれば共感できるし。とにかく出身地に関する話題は全方位で対応できる万能な言葉な気がする。

 

けれども、私(に限らず他にもいると思うけど)は「む・・・」となる。

というのも私は明確な出身地という物があるようでないような気がしている。

アイデンティティの欠如だ。

 

母方の実家である福島の病院で産まれた(らしい)。

その後は東京に3歳まで居て、父の転勤で大阪へ。

大阪には約8年いて、再び転勤で埼玉へ。

それ以降はずっと埼玉にいるけれども、私自身は学生時代はほぼ神奈川に居たし今は東京にいる。

 

つまり明確に「ここの土地こそ私の出身地だ!」というものがない。

そもそも出身地も明確な定義がないし、曖昧なものだと思うけれどもそのなんとなしに使っている出身地は結構「アイデンティティ」を確立するうえで重要だと思う。

ある種の心のよりどころという物だろうか。

 

学生時代、熊本出身の女の子は「熊本の女を舐めないでください!」とお酒を沢山飲んでいた。東北出身の男の子はちょっと照れながらも嬉しそうに「訛りがなかなか抜けなくて」と言った。東京出身の人は揃って満面の笑顔で「東京の○○出身です!」という。大阪・京都・奈良という関西圏出身の人も東京の人に負けず劣らずで「○○出身です」という。出身地はその人の根幹でもあるからこそ、みんなが知らないうちに大事にしているんじゃないだろうかと思う。

 

では転勤族の私はどうなのか。

一番住んでいた時間が長いので「埼玉出身です」ということが多かったけれども、正直しっくり来ていなかった。だからと言って小学生時代を過ごした大阪出身というのもしっくりこない。幼少期に少しだけ住んでいた東京もしっくりこない。記憶が残っている土地はどこもかしこもしっくりこない。わがままな人間だ。

 

そもそも、そんな出身地なんかに拘る必要はないはず。

けれども、知らず知らずのうちにやっぱり血筋というかそういう物を大切にするようになっているんだと思う。だからこそ、「○○家~」なんて言い方もあるわけだし。

 

全く記憶がないけれども(産まれた土地である)、福島出身ですと最近言い始めた。

これが、びっくりするくらいしっくりくる。

子供の頃、福島の祖父母の家に行くのが楽しかった。もちろん父方の祖父母の家も楽しかったけれども自然あふれる福島の方がきっと性に合ってたんだと思う。

でも子供の頃は「福島出身」はしっくりこなかった。だからアイデンティティが迷子になってしまい、なんだか中途半端な感じだった。

 

それが30を過ぎて、改めて「福島出身」というとしっくりくるのだからわからないものだ。きっと自分の根幹というか芯というか、そういう気性が年を重ねるごとにしっかりと顕現して合うようになったんだと思う。

 

そこまで深く考える事もないかもしれないけれども、転勤族の人で出身地に悩む人が居たら産まれた土地から過去に住んだ土地を一つずつ当てはめてみて欲しい。きっとその中にしっくりくるものがあると思うし、また大人になればきっと「ああ、ここなんだな」っていうものが見つかると思う。

 

がわ