人生、不十分

大好きな銭湯のこと、日常のこと、考えなど

大きな心境の変化

10年で変わったこと・変わらなかったこと

10年前、まだ20歳だった私。
大学生であり、サークル活動や研究室(理系のため)での活動等小さい世界ながら毎日が充実していた。

一方でこの頃はまだまだ将来どういう方向に進むかが決まっていなかった。

小学生時代から獣医師になることを夢見ていたが受験では失敗し獣医学部の別の学科に進学をしたため新たに夢を見つける必要があった。

漠然と動物に関わる仕事がしたいと思い進学したけれども、学んでいくうちに根本的に誰かの役に立ちたいという気持ちが強いことに気がついた。

だから研究室では必死に誰かの役に立つかもしれない研究を続けていた。そうした後に研究が楽しくて楽しくて大学院に進学することを決心した。

周りが就職活動をしている中、院試に備えて勉強と研究を黙々とやっていた。

そういう事もあり、無事に大学院へ進学することができた。大学院では学部生時代の研究の延長を行っており、いつしか就職するのであれば研究職として就職したいという気持ちが芽生えていた。

いやこれは芽生えていたというよりも芽生えざるを得なかった。本音を言えば修士の更に上の博士課程に進学したかった。

ただ、親になんて話そう・・・と悩んでいるうちにあれよあれよと修士の2年は進んでしまい結局就職活動をすることに。

就職活動では、自分のやりたいことややってみたいことではなくてバックグラウンドにある自分がやってきた研究をベースとして会社を受けた。

それが当たり前だと思っていたし、やりたいことなんてできるわけない、自分にそんな能力はないと思っていた。

そうした就職活動の末に内定が出たのは2つ。
九州の方の会社と東京の会社。
ただし、内容は大きく違い研究ができるのは九州の会社だった。

どちらに就職するか迷った私は色々な人と話したりして東京の会社に決めた。

ただこれの大部分は当時付き合っていた彼女の意見が大きかった。

「どこに行っても、私はついていくよ」

と彼女は言った。その彼女は東京で働いていた。そんな彼女にどこにでもついていくと言われてしまい青臭いが先の未来を想像してしまい東京にいたほうが彼女自身も楽しいだろうと考えた。

ある意味私は自分の意志だけじゃなくてそういう外側の要因で就職を決めた。

明確に自分の意志があるわけでもなく、さらに自分の能力を勝手に自分で決めつけて『あれはできない』『これもできない』『自分にはそんな能力もない』『やりたいことは仕事以外のところでやればいい』と思っていた。

そうして就職をして働き始めた矢先に彼女とは別れた。
人生なんてそんなもんであるわけで、でも当時は『あれ、なんで東京で働くことにしたんだっけ・・・』なんてかなり思い悩んだ。

仮に九州の会社に就職していれば少なくとも学生時代にやっていた研究の延長のような仕事ができていた可能性が高かった。例えそれが本当にやりたいことでなかったとしても、学生時代の研究の延長のような仕事であればまた違った気持ちになっていたと思う。

でも、当時の私は自分の気持ちよりも付き合っていた彼女の気持ちに寄り添う選択をした。それが間違いだったとは今も思わないがそれなりに苦しんだ。

それでも仕事はしなければいけないわけで。
生活のため、生きていくためと自分に言い聞かせながら仕事をしていたがいつしか『自分がやりたいことってなんだろうな・・・』と思い始めた。

その頃、あちこちの銭湯を巡ることが趣味で銭湯がどんどん減っていることを知った。

どうにかこれ以上銭湯が減らないようになにかできないかなという気持ちの元、このブログをやり始めた。

それと並行するように仕事に対する熱量は日に日に減っていってしまっていた。
根本的に私の行動原理は【誰かの役に立ちたい】というもの。

もちろん当時の仕事も人の役には立っていたけれども、相手の顔が見えない仕事であったため達成感のようなものはなかった。何より、なんのために仕事をしているんだろう・・というネガティブな気持ちが日に日に増していった。

一方、趣味の方ではどんどん銭湯の方にのめり込んで行くようになった。
毎週土日は遠出して普段は行けない銭湯に入りに行ったり、銭湯関係のイベントやオフ会に参加してみたりと積極的に動くようになっていった。

そうしていつしか私は、『自分のやりたいこと、やってみたいことをやってみてもいいのでは』と思うようになった。

趣味関係で出会った多くの方々が否定をしない方たちだった。また、多くの人達が自分の好きなことを好きとはっきりと言い、好きなことをやっていくことってダメじゃないんだむしろ良いことなんだと思えるようになったのが非常に大きかった。

運命のいたずらか、もし学生時代の自分が九州の会社への就職を選択していたら、この方々と出会うことはなかったと思う。

そうなると、私は自分の気持ちを受け入れ素直に行動することができなかったと思う。そして漠然と人の役にたちたいと思いつつも何も行動ができなかったと思う。

【誰かの役にたちたい】というのは紛れもない本音ではあるけれども、それ以上に親に迷惑をかけてはいけない。
親を安心させなきゃいけないと自分で自分に呪いをかけていた。つまり優先すべきは自分の気持ではなくいかにして周りを安心させるか、親を安心させるかだった。

この呪いが10年の間に出会った多くの方々の言葉と共に解け、大きな心境の変化をするようになった。

『自分のやりたいことをやりたい!』

とはっきり声に出して言えた。

自分のやりたいことややってみたいことを声に出し、かつ行動を起こすまでに10年を使ってしまった。
けれどもこの10年は非常に大切でかけがえのない宝物でもある。

そうして、私は今私はこれ以上銭湯が減らないようにという気持ちに従い銭湯の中に入り込み銭湯で働いている。

一方で10年どころか小さい頃からずっと変わらない事もある。
それは、やはり【誰かの役にたちたい】という気持ち。

銭湯ではお客さんの顔が見えるため、何か新しいことをやったときに直ぐに反応が見れるためモチベーションにも繋がっている。

何よりも、銭湯を必要としている人達のために営業をできているといことで少しだけかもしれないけれども誰かの役に立てているということが嬉しいしやりがいとなっている。

10年を振り返ると、自分自身に正直に嘘をつかないでやりたいことややってみたいことをやるために行動に移せるようになった。

また誰かの役に立ちたいという私自身の行動原理は全く変わらない。たぶんこの行動原理はこの先もずっと変わらないと思う。

そしてこの10年で変わった心境はすごく前向きな変化だと思う。

これからも前向きな心境の変化ができるように、日々楽しく過ごしていきたい。

がわ