人生、不十分

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思考と妄想の狭間(3月エッセイ②)

「ただ頭の中であれこれ物事を散らかすのは"思考"じゃなくて単なる"妄想"」

「その行為はもはや生産性はない」

「だから"ロジカル"に考える必要があるんだ」

 

全て前職時代の上司からの言葉。

言わんとすることは分かるし、"間違い"ではないんだろうと思う。

けれども、断定してしまっていてそれはさすがに暴論じゃないかって思う。

 

私は子供の頃から上司の言う"妄想"が得意な人間である。

でも、自分自身でそれを妄想とは思わない。よくある言葉であるけれども私は"脳内会議"と呼んでいる。

日常的に「ぼーっと」していても常に頭の中で何かを考えている。

それは悪い事から良い事、それこそ全く生産性の無い妄想まで幅が広い。

とにかく常に脳みそがフル回転しているようなイメージ。

 

例えば・・・人と「ラーメン」に関する会話をしていたとする。

きちんと「ラーメン」に関する会話をしながらも、頭の中では「チャーハン」の事を考えていたりする。

また、Aさんと私が会話をしている時、BさんとCさんが近くで会話をしているとBさんCさんの会話も聞こえていて、その会話に対して脳内でツッコミしたりする。

(もちろん、Aさんとの会話は普通に成立しています)

 

こういう事も上司から言わせれば妄想らしい。

脳の容量の無駄使い、さっさと止めた方がいいと。

ロジカルにアウトプットできないことはマイナスで役に立たないらしい。

 

いやうるせー!!!カタカナ使わねえで日本語使えや!!クソが!!!」

 

なぜ他人に自分の脳内の事を妄想なんて断定されないといけないのか。

そもそもここまで頭の中で常に何かしらを考えているのは気にしいだからだ。

一番良く発生するのは普通に会話をしている途中にちょっとズレた事を言ってしまったり、言い回しが良くなかったときにすぐに「ああ今の良くなかったな」って脳内で反省するんだ。それくらい、気を遣うとなるとおのずと脳みそは同時にAとBを思考する。

 

AとBから派生してCも考えたりする。

そうなると、もう思考は止まらない。

 

確かに、起こった事象への対応を考えているわけでもないし、それがとても役に立つのかと聞かれると誰かの役には立たないかもしれない。だから"妄想"と言われても仕方ないのかもしれない。

 

けれども、じゃあ全く役に立たないこと全てが妄想なのかって話なわけで。

それはあまりにも暴論過ぎません?

 

上司が某バーガーチェーン店のコスパについて考えてたんだよねって話をしたとき「いやそれてめーの定義上だと妄想やんけ」って何度思ったことか。

 

なぜ私の"脳内会議"だけが妄想と言われなければならないのか。

いや間違いなく"思考"だ。脳みそがフル回転しているんだから。

 

他人にとやかく言われる筋合いはないのに、そういう言葉ですら気にしてしまい結果的にまた脳内会議をしてしまうのだ。

 

他人の言葉に振り回されずに、ストレートに「思考しています」と言えるようになりたい。

 

がわ