人生、不十分

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言葉の力(4月エッセイ)

最近口癖のように「言葉を大切にしない人は嫌いだ」と言ってしまう。

(無意識だったけれども何度か指摘された)

 

こんな事を言っているけれども、じゃあ自分自身は大切にできているのか?

そう問われてしまうと自信をもって「大切にしている!」とは言えないかもしれない。

けれども、口から発する時は「無」じゃなくてちゃんとそれなりに考えている。

 

そもそも脳内会議ばっかりをしている人間なので、その発言がどうなって、どのような影響を及ぼすかということは考えてしまう。もっとも、それでいても言葉のチョイスを間違えてしまう事は多々あり、日々精進せねばならないと思っている。

 

どうにも言葉という物を軽々しく取り扱いすぎな気がしなくもない。

私自身は「言霊」をある程度(完全にではない)信じている。

 

言葉が持つ力は人間が想定しているよりも強いと思う。

例えば、一言で人を楽しくさせることができれば悲しくさせることもできる。

それは「口」から発せられる事に限らず「文字」として起こされたものも含む。

 

過去を鑑みてみれば、呪いは言葉からできてるわけだし、祈りもまた言葉だ。

言葉が持つ力という物は元来ずっと強い。それはどんな人も知っているはずだ。

 

それなのに、その強さという物を理解しきらずに使っているのではなかろうか。

しかし、だからと言って規制をすればいいわけではない。規制はつまるところ言葉狩りになる。言葉狩りをしてしまえば、言葉が持つ良い側面の力も制限してしまう。

 

じゃあどうするのか。もうこれは、各々のリテラシーを鍛えるしかない。

簡単に発言ができてしまうけれども、その力がどのくらいの影響があるのか。

 

昨今は「インフルエンサー」なる言葉が生まれ、それを生業としている人が増えた。

それを見ても、言葉の持つ力と影響力があることなんてみんなが身近に感じているはずだ。

 

特にネガティブな言葉の力は簡単に伝染する。それはただ伝染するだけでなく、すぐに発症して、爆発的に広がって鎮まることがない。

 

だからみんな感覚がおかしくなっているんだと思う。

本来重みをもつ言葉が「多くの人が使ってるし」という理由で軽くなっているんだ。

実際はそんなことはない。重みは変わっていないわけで、でも軽くなっていると錯覚してしまうんだ。

 

そうやって言葉がただ無意味に消費されてしまうのは何となく苦しいし嫌だ。

こんな事を言っても、別に私は文字や言葉を生業にしているわけじゃないので本当にただの感覚でしかないのだけれども。

 

精神論かもしれないけど、スポーツ等でしんどい時にこそ「声を出す」というのは全く意味がないようで実はもう一歩の踏ん張りができるということで意味があったりする(これは経験談

 

将来の夢等を口に出したり、文字にすると「後に引けない」気になる。

つまり、「やらなきゃ!」という気持ちと「やってやるぞ!!」という気持ちが出る。

 

とにかく、言葉の力は凄いんだ。だから、言霊はあるんだ。

別にスピリチュアルな話ではなく、普段から自分の言葉って言うのを顧みる事をしてみると何か一つ新しい発見があるかもね、という話。

 

言葉を大切に、ということは一見すると難しいかもしれないけどなんてことはない。

その影響をほんの少し頭に入れて、何かを言う前にほんの一瞬思考をすればいい。

反射的発言なんて良い事が何もないんだから笑

 

がわ