人生、不十分

大好きな銭湯のこと、日常のこと、考えなど

オードリー

2024/2/18(日)、その日はついにやってきた。

約1年前、オードリーのANNにて発表された「東京ドーム」でのライブ。

リスナーであるリトルトゥースにとっても大切な日。

 

先に言っておくと私は全部チケット外れてしまい、現地には行けず。

それでもライブビューイングのチケットを取る事が出来たため映画館で見届けてきた。

 

オードリーのANN自体は放送が始まった初期から聞いていた。

もっとも、ここ7年~8年くらいは毎週聞いているけれどもそれよりも前は聞いたり聞かなかったりがあった(今みたいにradikoなんて便利なものなくて聞き逃しがあった)

 

何がハマったのか。

めちゃくちゃ面白いのにどこか親近感が沸くトーク内容。

リスナーに寄り添うつもりなんて一切ないように見えて、優しさが出ている気がするような雰囲気。

たぶん、そういう全ての物がハマったんだと思う。

 

何より、オードリーというお笑いコンビが大好き。

それに尽きる。その二人がラジオでしゃべっている。

それだけでもう贅沢な時間なんだ。

 

そんな時間を15年も続けた二人は東京ドームでのライブをやることに。

国際フォーラムの時はまだ学生で研究室が忙しくて行けなかった。

武道館の時はよりによって休日出張の予定のため行けなかった。

そして、東京ドーム。抽選に外れたけどもライブビューイングという形で参加できた。

 

あの、デカい東京ドームで言ってしまえば「いつも通りのANN」。

もちろん演出等は豪華になっているけれども、OPトークから始まり、若林さんのトークゾーン、春日さんのトークゾーン、ひろしのコーナー、しんやめ。

本当にいつも通りで。でもそれがぐっと心にも刺さり染み渡り、とにかくたくさん笑った。あ、ひろしのコーナーは映像付くとより笑えて、ゲラゲラしてた。

 

そしてライブだからこそならではのコーナー。

春日さんvsフワちゃん(クミさんの代理)のプロレスは真剣でドキドキしながら見てしまった。けれどもよくよく考えたら「東京ドームに来てまで煮卵付ける付けないの話してるわ!最高かよ!!」ってなったり。春日さんもフワちゃんも格好良かった。

 

若林さんはターンテーブルを使ってDJプレイ。

凄かったし、使っている音源がANN聞いてればわかるから笑いが止まらなかった。

本当にお腹がよじれるんじゃないかって笑ったくらいのタイミングでゲストの星野さん。「星野さん出られないんじゃなかったんか!!」って。

 

LightHouseを見た人達は全員泣いていたと思う。

過去の道を今だからこその肯定。(それでも全肯定とまでは言えない)

あそこであの曲はもう泣くしかないよね。

 

そうしてエンディング後に漫才。

これはもうないも言うまい。今のオードリーの全部がギュッと詰まってた。

沢山笑って、なんだか知らないけど目から汁が出てきて、また笑って。

漫才ってすげえんだなあって改めて思ったよ。武道館ライブの漫才見た時も同じこと思った気がする笑

 

書き連ねすぎると野暮になる気もするからこのくらいにしておこうかな笑

無事に見届けることができて、とにかく笑って、本当に素敵で最高にトゥースだった。

また、ライブやってほしいし、次こそ現地行きたい。

 

この先も土曜の夜がずーっと続いていきますように。

そして私もずーっと聴き続けていきたいと思います。

 

トゥース!

2024年1月日記

1月の前半は前に書いた記事の通り、インフルエンザで苦しんで寝ていた。

仕事はあるけれども、それ以外にも色々と予定があったのに全部吹っ飛んだ。

まあでも仕方ない。こういうこともある、ってことで1月初旬は特に何もなかった。

 

1月2週目

ぎりぎりインフルエンザも直って、一応復帰目安を超えたので一安心して友人氏と共にハリーポッターと呪いの子を観に行ってきた。劇という物を見ること自体が初。そしてハリーポッターの続編ということ、友人氏のプレゼンがあまりにも良すぎたので見てきた結果、最高だった。

 

詳しく書くよりもこれは一度本当に生で見てもらいたい。

お値段それなりにするし、3時間だからそれなりに時間を作らないとだめだけどその価値がある。あと、一部の人の性癖には刺さると思う笑

 

一つはっきりとした感想を述べておくなら、嘆きのマートル役の人の演技があまりにも上手過ぎてずっと鳥肌が立ってた。尋常じゃないよあれ。

 

観劇後に喫茶店で一息入れながら感想を伝えたけど、友人氏曰く「想像の5倍くらいの熱量がこもってて笑ったw」とのこと。そのくらい面白かったんだから仕方ないじゃない・・・。ちなみに友人氏は次の週もまた別の友人を連れて見に行くとのこと。

「布教しないといけないからね!!」と。

流石オタク。Twitter(現X)を通して知り合い、そこからもう気が付いたら10年来の友人だけど、この人の熱量と行動力は尊敬する。

今度は別の演者の時に観に行こうねと約束をして解散をした。

 

1月3週目

2週目までは鼻声が続いていたけれども無事に治った。良かった。

機械が直る予定だったのに、想定外の自体が起こった。

電気系統までイカれてしまっているとのことで、時短営業を延長。

申し訳なかった。

 

定休日には本屋へ行き、本を漁りいくつか購入し池袋へ。

体調を崩していた時を除いてこの3か月くらいほぼ毎週池袋にいる気がする。

目的はシネマロサで公開されていた「野球どアホウ未亡人」を見るため。

やっと見れたけれども、めちゃくちゃ面白かった。

これは文字通り「面白かった」という感想が適切なくらい。

途中で考えることを止める系、令和の巨人の星(?)的な面白さ。

ぶっ飛んだ設定だからこそのあの面白さだと思う。刺さる人には刺さる。

 

1月4週目

機械が直る目途が立った。まあ直るって言うより全て交換をするわけですが。

どのくらいの請求になるのか心配で心配で震える。

 

定休日に再び池袋シネマロサへ。

もう1度野球ドアホウ未亡人を観たくて。本当に毎週行ってるなおかしいんじゃね?笑

2回目の感想もとにかくやっぱり面白かった。大満足。強いて言えばあと2回くらいは見たい。2週間しか上映していないのがちょっぴり残念だった。

 

急いで戻ってきて、とある事の打合せ。夜で申し訳なかったけど、なかなか濃い打合せができたかな。2月中にはお披露目ができる予定。先方の都合もあるから確実とまでは言えないけどね。楽しみにしていて欲しい。

 

1月5週目

ついに機械の修理対応が終わった。

とても長くしんどい1か月だった。終わったとは言え、これで問題ないのか数日は見ておく必要もあるので1月一杯は短縮営業。早くもとに戻したい一心だった。

 

1月は体調不良から始まり、時間の経過があっという間過ぎたけれども割と濃い1か月だったと思う。本はなんとびっくり9冊数読んだし、映画も見てるし、劇も見てるし、なんかもうしっかり文化人(?)だね。ちょっとお金使いすぎた気もしてて反省してる。

 

2月はオードリーの東京ドームライブ(私はライブビューイング参戦)がある。

楽しみだね。体調を崩さないように気を付けながら過ごしていきたいところ。

 

がわ

虚弱と鉄人(2月エッセイ)

大人になってからはそんなに体調を崩すこともなくなった。

それでも普段、自分のキャパよりもちょっと超えた状態なのか、年1くらいで少し体調悪くなることがある。

最も、休むほどじゃなくてただただいつもより体がだるいな~くらい。

 

それが昨年末~新年にかけてインフルエンザにかかった。

本当に10年以上ぶりのインフルエンザだった。

熱はそこまで激しくなかったけれども全身の筋肉痛と倦怠感がひどかった。

今回に関してはこれが原因だろうなって予想できるものが一つある。

 

昨年末の機械不備の後、業者さんとあれこれ作業するときにちょっと薄着&裸足だった。なぜそんなだったのかはもう覚えていない。あの時の私は本当にバカだ。

全身が冷たくなっていたし、足先は感覚がもうなかった。

そりゃあ風邪の一つもひくだろう。

 

でも一つ意外だったのが、胃腸には何の不調も出なかったこと。

子供の頃から胃腸が弱く、何かあると必ずお腹に不調が来るタイプだった。

虚弱体質というよりも胃弱体質とでもいうか・・・。

正確に言えば胃ではなく腸なので腸弱体質。

 

母親曰く、「ミルクを飲んだらそのまま直で全部出てるんじゃないかって速度でおむつ変えてたのよ」というくらいの快便赤ちゃんだった私。

結果的に便秘知らずなのは良い事だけれども悉くお腹から調子悪くなるのだけは本当にいただけない。

 

別にそれが原因で学校の行事に出られなかった、とか受験で失敗した、とかそういうことは特にない。けれども、表には出ない裏の舞台で苦しんでいたのは事実で。

 

学校行事の際は緊張でずっとお腹痛い。

ストレスで食欲がなくなるタイプなのですぐに食べられなくなる。

トイレが近くに無いと不安になる(今はそんなことないけど)

 

ちなみに昨年の夏には夏バテなのか食欲不振に陥り、胃と鳩尾のムカムカで大変だった。2週間くらいカロリーメイト(ドリンク)とinゼリーしか食べられなかった。

結果、原因不明の機能性ディスペプシアと診断されたんですがそれはまた別の機会にでも。

 

とにかく表には見えないところで弱さが際立っていたので、見た目的には「ちょっとお腹弱いけど身体小さい割に丈夫じゃん」って思われていたかもしれない。そうだ、私はきっと鉄人になろうとしていたんだと思う。

 

なんでもかんでも多少我慢して、無理をしてすべてを突っ走る。

ちょっとそれが格好良く見えたんだ。

鉄人というかアイアンマンだろうか(マーベル見たいことないけれども)

 

でも実際鉄人になるなんて無理なことなわけで。

そんな鍛え方もしていないし、そもそも無理するのはしんどいし。

あと一人でなんでもかんでもやろうと張り切るのは20代前半くらいまでだなとも。

 

とりあえず自分の虚弱を受け入れて、やっていくしかない。

 

それはそれとして、インフルエンザに久しぶりにかかり、文字通り「咳をしても一人」状態で普段なんとも思わない悲しさと寂しさを覚えた。人間弱っている時に人恋しくなるのは真理だなとしみじみしてしまい、ちょっと自分でもらしくなくて笑ってしまった。私は私が思っているほど強くはなく、むしろ打たれ弱く脆い人間だったのを思い出した。

 

復帰後は病み上がり尚且つ機械も壊れてて、顔色が良くなかったのか、元気がなさそうに見えたのか、悲しそうに見えたのか、常連の方3人くらいから「早くお嫁さんを見つけて結婚をしなさいな。あんたにはそういう人が必要だし、向いてるでしょ」的なことを言われてしまいさらに笑ってしまった。

 

今年は33歳になる。

まだまだバリバリ動き回るけれども、一つ自分の人生を考えてみると良いのかもしれない。

それは一人で生き抜くのか、それとも誰かと人生を半分こするのか(そもそも私にそんなことできるんか?そんなことしてくれる人が出てくるのか?はさておく)

 

そんなこんなを考えて、下書きに保存しているうちに2月になってしまった。

3月までには少しこの先っていうのを考えてみたい。

未来は不確定だけれども、不確定なりに進みたい方向くらいは選ぶことができるから。

人間はどんな道に進んでも絶対に後悔がついてまわる。

けれども、ただただ後悔するだけじゃなくて納得した上での後悔だと意味合いが違う。

 

だからこの先も納得した上での後悔になるように。

いましばらく、考えることは続けていきたい。

 

がわ

 

 

 

君が私をダメにする

2023年12月29日夕方

突然の機械不備により、水が出なくなり夕方にお店を閉めることに。

色々と対応してみたけど、どうにもならず明日業者に来てもらうことにして臨時休業。

 

2023年12月30日

事は想像以上に深刻ですぐに直るものではないことが判明。

出来る限りの対応と応急処置をして何とかお店を開けられる状況にできた。

 

2023年12月31日

朝から身体がふわふわする。けれども、急な休みにしてしまったため今日は何とか営業しなければと踏ん張る。夜、あまりにも身体がしんどく熱を測ると38℃を超えていた。

 

2024年1月1日

体調が悪い。悪すぎて、病院を調べたけどさすがにどこもやっていない。ふらふらする

背に腹は代えられず往診を依頼し、検査。結果インフルエンザA型。

 

ということで年末から年明け早々にかけてインフルエンザで私はおよそ1週間ダメになっていました。そうです、君=インフルエンザでした笑

 

めちゃくちゃな高熱が出たわけじゃないけど、38℃くらいが5日程度続いて連日ずっとだるくてしんどかった。本当にダメになりそうだった。

その間もお店は開けてもらっていたけれども、弱った身体と心へのダメージは計り知れず、本当に良くないことばかり考えてしまっていた。

 

それだけじゃなく、100のうち99は応援だったとしても残りの1が心無い言葉だとその心無い言葉だけが胸に刺さり、ずーっとしこりとして残り続けてしまうってこともよく分かった。

 

健全な身体には~みたいなことをよく言うけれどもまさにその通りだと思った。

病は気からとも言うけど、どっちもどっちで連動している。

 

身体の方が悪くなればそれに引っ張られるようにして心の方も悪くなる。

逆に心の方が悪くなればそれに引っ張られるようにして身体も悪くなる。

 

結局どっちがどっちということは無くて、どっちも大事で重要。

そんなことをこのクソ忙しい年末年始に改めて学んだ。

 

冗談抜きで、心が折れかかっていたのは事実。

それは起きた事象に限らず、何気ない言葉だったり、何気ない行動だったり。

一体何なのかはお察しいただきたいところではある。

 

それでも今はちゃんと立ち直っているから身体が元気であるということはとても大事なんだと心から思う。まあ、絶賛鼻声だけ残っているのですが・・・。

 

どんな物でも、一度ダメージを受けてしまったら100%元の形に戻るなんてことは無いと思っている。それは人間の身体も心も同じ。

 

それでも、元通りとは言わなくてもある程度戻れば動けるようになるのが人間の強いところだと思う。

 

・・・なんてちょっとおセンチなことを書いてみた。

とにかく、本当に心身は大事にしなければいけないということをインフルエンザ君は改めて気づかせてくれたんですよ。

 

多少の無理が必要な場面はあるかもしれないけれども、限界を超えすぎる無理はしてはいけないんだなあと。

 

今年の冬はインフルエンザに限らず、様々な病気が猛威を振るっているようですので皆様も心身の調子を確認しながらのんびりやっていきましょう。

 

がわ

 

しつこさのバランス感覚

「しつこさ」って大事だなと思うときと「しつこいなあ」って辟易するときがある。

 

一度断りを入れても何度も言ってくるのははっきり言ってしつこいし、めんどくさい。

明確に「いや、いいよ」って断っているのになぜ同じ話を繰り返すんだろうか。

テープレコーダーなのかしら?となかなか酷い例えが出てしまうときがある。

 

それはきっと、相手側からすれば善意や好意のつもりなんだと思う。

それはこちら側も感じ取っているし、理解もしている。

そのうえで「いいです」ってお断りを入れている。

食い下がってくるならまだわかるけれども同じ話を同じトーンで繰り返すのはしつこいのレベルを超えていると思う。

 

これは飲み会等でも同じ。

いつまでも昔の同じ話を繰り返し話すなって思うようになった。

もうその話聞いたの10回目だよ、正直しつこいって・・・ってなる。

だからか、同窓会とかに興味があまりないし、昔話を掘り返したとてなあって思う。

「それ毎年話してるじゃんしつこいな」って思うようになった。心が狭くなったんだろうか。

 

一方で、気心知れた人達とする昔話は楽しかったりするから自分の中でも明確に矛盾しているのは分かる。

ただ、そこに少しでも「しつこい」って思う感情が入り込んでくると聞いていられない。

 

その逆である程度年齢が上の方々の繰り返される武勇伝的な話はもうそういう伝統行事みたいなものなので最近は受け入れている。むしろ回を重ねるごとに話が盛られていくのでその違いを見つけるのが楽しくなっていたりする(性格悪いなこいつw)

 

一方「しつこさ」に好意的な感覚を持つこともある。

例えばスポーツの練習だったり、仕事だったりで文字通り"しつこく食い下がってくる"ことに関してはあまり嫌悪がない。

 

言葉で見れば同じ「しつこい」なのにこうも感じ得るものが異なるのは面白い。

得たものが「嫌悪感」と「好意的」という真逆になるのも面白いと思う。

 

面白い、と言いつつも割合で言えば「嫌悪感」を持ってしまう「しつこい」の方が多いから何とも言い難いところではある。

 

これはある種の自戒でもある。

自分自身も最近「嫌悪感」を持たせてしまうような「しつこさ」が出ているんじゃないかと反省する機会がとても増えた。

だからこうやって文字にすることで脳内にも反省を促している。

反省しろ、私の脳みそ。

 

もう少し好意的な「しつこい」が出せるようにバンランス感覚を磨いていきたいと思います。これ、来年の目標にしちゃおうかなあ。なんてね。

 

がわ

 

 

クリスマスってやつ

クリスマスの時期になると、少し思い出す苦い思い出がある。

 

あれは社会人2年目だか3年目くらいの時。

マッチングアプリを通してお付き合いをしている女性がいた。

12月は付き合い始めて大体6か月くらいだった。

 

少し振り返ると、マッチングしたのが2月頃。

そこから1日1通くらいメッセージのやり取りをして、初めて会ったのが5月。

なんと、会うまで3か月もメッセージのみのやり取りをしていた。

お互いきっと異常なまでに慎重だったんだと思う。

マッチングアプリをやっていた他の人の話を後々に聞くと大体2、3回くらいメッセージをやり取りしたらとりあえずすぐに1回は会うと。会ってみないことには結局どんな相手かわからないからという。

だからきっと珍しいケースだったんだと思う。

 

お昼過ぎに合流し、お昼を食べて、喫茶店でおしゃべりして、ちょっと散歩した。

思ったよりも会話が続き、楽しく、再び会う約束をして解散。

その後何度か会っているうちに、完全に意気投合して付き合うことになった。

 

その後も特におかしい事はなく、週に1回ないしは2週に1回くらいの頻度で会ってた。

11月にはありがたいことに私の誕生日をお祝いしていただきプレゼントを貰った。

彼女の誕生日は年明けだったため、クリスマスの後だね~なんて話していた。

 

そうしてクリスマスが近くなる12月初旬。

お出かけをして、お互いにクリスマス何が欲しい?なんて話を。

特にこれ!って言うのは無いから任せるよ、なんて言われたり。

 

年上の方だったし、以前アクセサリーが欲しいみたいなことを言っていたので、某クリスマスシーズンに話題に上がるブランドの何かを買おうと色々調べていた。

 

そうして少し時が進み、クリスマスの1週間前のド平日。

私は出張で遠方に出ていたところに連絡があった。

本当に突然。

 

「別れてください」

 

はえ!?

ってなりましたよね。会ってないのでもうこれに関して本当に真相はわからないんですよ。ただ「もうこれ以上は無理」とか「支えられない」とかいろいろとメッセージか飛んできた。

 

けれどもはっきり言う。

「無理」って言われるようなこと何もない。向こうの予定聞いて「じゃあこの日どうですか?」って聞いて合わせてから出かけていた。

体調悪いって時はじゃあお出かけは無しにしましょうねって言ってたし。

 

あと支えられないはマジで意味が分からない。今もわかってない。

そんな話1回もしたことないし、されたこともない。

なんならむしろ向こうの方が大変だから・・・って言ってたのでこっちが支えないとなあとか思ってたくらい。

 

つまるところ、理由なんてどうでもよかったんだと思う。

マッチングアプリなので、共通の友人はいない。

つまり、連絡一つでブロックしてしまえばそれで終わり。

きっと向こうはマッチングアプリを継続していて、いい相手がクリスマス直前に現れたから乗り換えだったんだろうなって今は思う。

 

その後は即ブロックされたので連絡とれず。

直接会ってとか色々考えたけれども、そこまでの労力を割くほど力は残ってなかった。

 

奇跡的・・・というよりも唯一の救いだったのは。

まだプレゼントを買う前だったこと。

これでもしプレゼントを購入していたら、メルカリの民になっていたに違いない。

 

特に憎いとかふざけんな!的な気持ちは無い。

こっちに何か悪い事があったんだろうっても思った。

 

とにかくそれ以降クリスマスって言うのがちょっと怖くなったり笑

 

今年ももうクリスマスシーズンだ。

世の人みんなが幸せな気持ちで迎えられると良いなって思う。

 

まあ私はお店の営業があるので、あまり関係ないのですが笑

 

がわ

触れる、作品群

本(小説やエッセイ)はかなり読む。

 

(比較する必要もないと分かっているけれども)世の中にいる読書家の人達と比べれば少ないだろうけど、年間で50冊は読んでいる。

今年も50冊を超え、今でもまだまだたくさん読みたい本がたくさんある。

 

本をかなり読むけれども一方で、映画を全くと言っていいほど見ない。

年に1回、2回くらい。それも興味があるやつだけなので、大作であっても興味が出ないと全く見ない。興味が出ても、映画館まで足を運ぶのが面倒になり見ないこともある。

 

そんな私がこの1か月弱で3回も映画を見に行っている。

そして、この1か月弱は1冊も本を読んでいない。

最も、色々と忙しく本屋が空いている時間に行けていないという理由もある。

けれども、それにしたってこれはなかなか私の中では衝撃。

今まで、本当に映画に興味がなかった。なのに、だ。

 

見に行っている映画はどれも所謂「インディーズ映画」だ。

きっかけなんていうものは些細なもので、以前のブログで書いた「ゆりに首ったけ」を見に行ったこと。

 

この「ゆりに首ったけ」を見たときに流れていた、予告で面白そうと私の何かにフックが刺さった。綺麗に一本釣りをされたといっても過言ではない。

 

「ゆりに首ったけ」の後に見たのは「イルカはフラダンスを踊るらしい」という映画。

ヤングケアラーを題材とした映画で「ヒューマンドラマ」に分類されると思う。

予告を見て、予想していた通り、心に突き刺さり、泣き、田舎や祖母が恋しくなった。

 

次に見たのが「物体 妻が哲学ゾンビになった」という映画。

謎の流行り病により(作中でも定義されてるし、現実にも「哲学的ゾンビ」というものがある)妻が哲学ゾンビになってしまった夫婦の話だった。これが凄く良い意味での問題作で、とても70分弱の映画とは思えない濃さだった。「人とは?」という答えが出ないようなことを延々と自分でも考えてしまうような、核心に迫るように見せて広げる風呂敷。脳の動きは電子信号であれど、じゃあ自意識と心はどうだろうか?等々・・・。とにかく考え始めるときりがないのに考えてしまった。本当に面白かった(けれども、面白いの一言では済ませたくない)

 

上記3作、ジャンルが全部違うけれどもどれもこれも熱量があり面白かった。

伝えたいであろうメッセージ性が強いため、どの作品もとにかく記憶に残る。

それは一見すると違うように見えるかもしれないけれども、小説を読んでいる時の感覚と同じだった。

 

小説も作者のメッセージ性がグッと込められている作品は入り込みやすいし、面白い。

その分、読了後の疲労感は他と比べものにならないくらいだけれども。

 

今回見た映画もそれと同じく、(多少の違いはあれど)「きっとこういうことを伝えたかったんじゃないかな」とはっきり感じることができた。そして、小説以上に観終わった後の疲労感は半端じゃなかったけれども。

 

映画にしても、小説にしても、作り手の熱量と伝えたいものの芯がしっかりしているとこうも簡単に釣りあげられてしまうか、と自分に笑ってしまった。

 

でも、だからこそ、見たり読んだりしたときに何か一つでも得られるものがあるんだと思うし、また新たに「ああ、他の作品も見てみたい」と思ってしまう。

 

結局のところ、作品に触れるのは「芯」に触れるということなんだろう。

ある種のコミュニケーションと言ってもいいと思う。

その「芯」が分かるととても楽しいし、面白いし、嬉しい。

 

小説も映画も欲張ろうとすると時間が無限に溶けてしまう。

けれども、今後はどっちも追える限りは追っていきたいと思う。

 

がわ