本(小説やエッセイ)はかなり読む。
(比較する必要もないと分かっているけれども)世の中にいる読書家の人達と比べれば少ないだろうけど、年間で50冊は読んでいる。
今年も50冊を超え、今でもまだまだたくさん読みたい本がたくさんある。
本をかなり読むけれども一方で、映画を全くと言っていいほど見ない。
年に1回、2回くらい。それも興味があるやつだけなので、大作であっても興味が出ないと全く見ない。興味が出ても、映画館まで足を運ぶのが面倒になり見ないこともある。
そんな私がこの1か月弱で3回も映画を見に行っている。
そして、この1か月弱は1冊も本を読んでいない。
最も、色々と忙しく本屋が空いている時間に行けていないという理由もある。
けれども、それにしたってこれはなかなか私の中では衝撃。
今まで、本当に映画に興味がなかった。なのに、だ。
見に行っている映画はどれも所謂「インディーズ映画」だ。
きっかけなんていうものは些細なもので、以前のブログで書いた「ゆりに首ったけ」を見に行ったこと。
この「ゆりに首ったけ」を見たときに流れていた、予告で面白そうと私の何かにフックが刺さった。綺麗に一本釣りをされたといっても過言ではない。
「ゆりに首ったけ」の後に見たのは「イルカはフラダンスを踊るらしい」という映画。
ヤングケアラーを題材とした映画で「ヒューマンドラマ」に分類されると思う。
予告を見て、予想していた通り、心に突き刺さり、泣き、田舎や祖母が恋しくなった。
次に見たのが「物体 妻が哲学ゾンビになった」という映画。
謎の流行り病により(作中でも定義されてるし、現実にも「哲学的ゾンビ」というものがある)妻が哲学ゾンビになってしまった夫婦の話だった。これが凄く良い意味での問題作で、とても70分弱の映画とは思えない濃さだった。「人とは?」という答えが出ないようなことを延々と自分でも考えてしまうような、核心に迫るように見せて広げる風呂敷。脳の動きは電子信号であれど、じゃあ自意識と心はどうだろうか?等々・・・。とにかく考え始めるときりがないのに考えてしまった。本当に面白かった(けれども、面白いの一言では済ませたくない)
上記3作、ジャンルが全部違うけれどもどれもこれも熱量があり面白かった。
伝えたいであろうメッセージ性が強いため、どの作品もとにかく記憶に残る。
それは一見すると違うように見えるかもしれないけれども、小説を読んでいる時の感覚と同じだった。
小説も作者のメッセージ性がグッと込められている作品は入り込みやすいし、面白い。
その分、読了後の疲労感は他と比べものにならないくらいだけれども。
今回見た映画もそれと同じく、(多少の違いはあれど)「きっとこういうことを伝えたかったんじゃないかな」とはっきり感じることができた。そして、小説以上に観終わった後の疲労感は半端じゃなかったけれども。
映画にしても、小説にしても、作り手の熱量と伝えたいものの芯がしっかりしているとこうも簡単に釣りあげられてしまうか、と自分に笑ってしまった。
でも、だからこそ、見たり読んだりしたときに何か一つでも得られるものがあるんだと思うし、また新たに「ああ、他の作品も見てみたい」と思ってしまう。
結局のところ、作品に触れるのは「芯」に触れるということなんだろう。
ある種のコミュニケーションと言ってもいいと思う。
その「芯」が分かるととても楽しいし、面白いし、嬉しい。
小説も映画も欲張ろうとすると時間が無限に溶けてしまう。
けれども、今後はどっちも追える限りは追っていきたいと思う。
がわ