「しつこさ」って大事だなと思うときと「しつこいなあ」って辟易するときがある。
一度断りを入れても何度も言ってくるのははっきり言ってしつこいし、めんどくさい。
明確に「いや、いいよ」って断っているのになぜ同じ話を繰り返すんだろうか。
テープレコーダーなのかしら?となかなか酷い例えが出てしまうときがある。
それはきっと、相手側からすれば善意や好意のつもりなんだと思う。
それはこちら側も感じ取っているし、理解もしている。
そのうえで「いいです」ってお断りを入れている。
食い下がってくるならまだわかるけれども同じ話を同じトーンで繰り返すのはしつこいのレベルを超えていると思う。
これは飲み会等でも同じ。
いつまでも昔の同じ話を繰り返し話すなって思うようになった。
もうその話聞いたの10回目だよ、正直しつこいって・・・ってなる。
だからか、同窓会とかに興味があまりないし、昔話を掘り返したとてなあって思う。
「それ毎年話してるじゃんしつこいな」って思うようになった。心が狭くなったんだろうか。
一方で、気心知れた人達とする昔話は楽しかったりするから自分の中でも明確に矛盾しているのは分かる。
ただ、そこに少しでも「しつこい」って思う感情が入り込んでくると聞いていられない。
その逆である程度年齢が上の方々の繰り返される武勇伝的な話はもうそういう伝統行事みたいなものなので最近は受け入れている。むしろ回を重ねるごとに話が盛られていくのでその違いを見つけるのが楽しくなっていたりする(性格悪いなこいつw)
一方「しつこさ」に好意的な感覚を持つこともある。
例えばスポーツの練習だったり、仕事だったりで文字通り"しつこく食い下がってくる"ことに関してはあまり嫌悪がない。
言葉で見れば同じ「しつこい」なのにこうも感じ得るものが異なるのは面白い。
得たものが「嫌悪感」と「好意的」という真逆になるのも面白いと思う。
面白い、と言いつつも割合で言えば「嫌悪感」を持ってしまう「しつこい」の方が多いから何とも言い難いところではある。
これはある種の自戒でもある。
自分自身も最近「嫌悪感」を持たせてしまうような「しつこさ」が出ているんじゃないかと反省する機会がとても増えた。
だからこうやって文字にすることで脳内にも反省を促している。
反省しろ、私の脳みそ。
もう少し好意的な「しつこい」が出せるようにバンランス感覚を磨いていきたいと思います。これ、来年の目標にしちゃおうかなあ。なんてね。
がわ