人生、不十分

大好きな銭湯のこと、日常のこと、考えなど

徳を積むことと最近の違和感

「徳を積まなきゃ」

そんな言葉を無意識に使っていたりするし、なんなら他人から「徳を積まないとね」なんて言われたりする。

自分で言うならともかくとして、なんでそんなこと他人に言われなきゃならないんだよ、なんて思わなくもない。

 

今年は全体を通して運が良かったと思う。

もちろん、悪いこともあったしまだ今年も3週間弱残っているので確定できるわけではないけれどもそれでも現時点では良かった。

 

それでも年初から「あたってくれ~」って思っていたライブは外れた。

「オードリーのオールナイトニッポンin東京ドーム」が外れた。

今年一番狙っていたけども、きっと「徳」が足りなかったんだと思う。

あるいは途中で使ってしまったか。

 

全部を振り返るわけじゃないけれども、いくつか振り返ると。

一番好きなイラストレーター、水元さきのさんの似顔絵屋さんに申し込みが出来て自分の似顔絵を描いてもらえた。

たりないふたりの仕掛け人、安島さんの出版記念セミナーに参加して直接安島さんと話すことができた。

GoogleのX(旧Twitter)キャンペーンで新機種のGooglePixel8Proが当たった。

戸田真琴さんの私小説「そっちにいかないで」のサイン会に参加できた。

 

こう見ても結構色々と「運」が良かった。

だからきっと当たらなかったんだと思う。時の運は仕方ない。

でも「徳を積む」っていう単語は実はあんまり好きじゃない。

だってそんな意識をしてなくてもできることはやっているから。

そんな下心もって「徳を積んだ」なんて言うのはもはや徳でもなんでもない。

そこに下心なんていらない。いつも通りできることをやればそれでいいと思う。

でも「運」はあるからそれは受け入れたい。悔しいけれども。

 

話題転換

 

昔は抱かなかった違和感が出てくるようになった。

「あれ・・・?」っていうことから「うわ!気持ち悪い!」って思ってしまうことまで。これが「成長している」なのか「退化している」なのか分からない。

30を過ぎて「成長?」って思われるかもしれないけど、人間は日々成長だと思っている。けどそれと同時に退化もしていると思っているので今の自分の状態がどっちなのか分からない。

 

あるいは価値観が変わったのかもしれない。

年齢が変わればステージも勝手に上がっていくし、接する人が変われば少し影響を受けるだろうし。

先に書いた「徳を積む」なんかもまさにそう。昔はそこに違和感を持つことはなかった。けど今は違和感がある。

 

友人の行動や言動にもなんとなく「うーん・・・」と思ってしまうこともある。

昔ならそうは思わなかっただろうに今は明確にそう感じてしまう。

 

まだ結論が出ていないけれども、「成長」だと思って違和感も飲み込んでいきたい。

そうすれば違和感ではなくなるだろうし。

 

あー、運がなかったのが悔しいです笑

 

がわ

日記①

10月~11月にかけて久しぶりに色々な人とご飯を食べに行った。

 

もうそろそろ10年近くの付き合いになる友人氏とは、仕事等の話はほぼせずひたすら趣味の話をした。

元々ライブ等に活発に行く友人氏は今は観劇の熱が高いらしく、いかに観劇が楽しいかをずっと話してくれた。

 

知っていること、知らないことの織り交ぜ方がうまく、付き合いも長いからかこっちが興味を持つだろうポイントを的確に押さえて話をしてくれるのでめちゃくちゃ興味が沸いた。

 

というかハリーポッターの続編である劇なんてそんなん気になるに決まっている。

この友人氏は6月にご飯食べた時にいかにホグワーツレガシーが面白いかを力説し、PS5を買ってでもやった方がいいと悪魔のささやきをした。

(そしてまんまと欲しいもの貯金を使って買ってしまった私)

 

そして今回もその勢いのまま、1月に一緒に観劇することになった。

楽しみが一つ増えたし、もしかしたらまた趣味が増えるかもしれない。

お金を貯めておかなければ。

(それにしても観劇ってなかなかお高いのね。初めて知りました学び)

 

敬愛している芸人のラジオをきっかけに仲良くなった友人とは、某ネット番組的な感じで1か月の一言日記をベースにご飯を食べながらつらつらと話をした。

 

感覚が近しいため、思っていることが似ていてとても楽しかった。

一方で近いだけじゃなく、非なる所もあり「なるほど、そういう視点もあるのか」と感心したり。

 

あとはめるるが可愛いよねって話で大盛り上がりしたり。

 

新しい視点が一つ増えた。

定期的にこの日記発表会はやりたいと思えた。

 

普段、ほとんど映画を見に行かない人間だけれども勧められてどうしても気になった映画を見てきた。

しかもいわゆる単館映画。シネコン以外に行くことなんてほとんどないからドキドキワクワクだった。

 

タイトルは「ゆりに首ったけ」

 

この映画がめちゃくちゃ面白かった。

本当に男ってバカだよなあってケラケラ笑いながら見れる。

そして小悪魔女子って本当にいるよなあというしみじみした感情。

見に行けて本当に良かったと思う。

出来れば複数回見に行きたかったけれども、なかなか時間が作れずに行けなかったのが心残り。

またどっかで期間限定でもいいから劇場公開してほしいなって思うところ。

 

そして11月月末には酉の市へ行ってきた。

毎年恒例になっている酉の市。昨年同様、今年も沢山の人であふれていた。

毎回深夜に行っているのに、深夜だからこその人混みが凄かった。

 

散々悩んで昨年と同じ形をしつつも、一回り大きい熊手を購入。

来年も荒波に飲み込まれないように色々と乗り越えていきたい。

 

10月~11月はこんな感じであっという間だった。

カメラを借りたのに写真を撮りに行く時間を作れなくて、時間の使い方が下手すぎるなって少しばかり凹んだ。やりたいことに対して圧倒的に時間が足りない。

それでも、視野が広がったと思うのでとっても楽しい日々だった。

 

がわ

 

休日

20代の頃から休日は一人で過ごしていてもなんとも思わなかった。

というよりも、人見知りが激しいタイプだったので一人が楽ちんだった。

(人からの誘いを断るようなことはしなかったけど)一人でもふらふらあちこちに出かけたりしていたので、それなりに楽しく過ごしていたんだと思う。

 

30代になり、仕事は変わったけれども特にそれ以外の大きな変化はない。

けれども、休みの日の過ごし方が分からなくなる時がある。

 

「休みの日の過ごし方が分からないって言うのが分からない」って言われるかもしれないけれども。

 

分からないではなく「どうやって過ごしていたっけ?」が正しいかもしれない。

人生に対する焦り、みたいなものは特に感じていなかったつもりではあるけれども、もしかしたら心の奥底では感じていたのかもしれない。

 

20代の時と同じような過ごし方をしてもそんなに楽しくないって思うときがある。

具体的に何がって言われると、上手く言語化できないところが悲しいけれども。

 

とは言いつつ、最近はカメラを借りたのでカメラを持ち歩いて出かけたりすることがとっても楽しいので、新しい「楽しい」を見つけられたんだと思う。

新しいや気になっていたことに挑戦することは体力と精神力が必要だけど、一歩を踏み出すと、それは凄く楽しいしやりがいがある。

 

けれども、もしこの新しい楽しいが見つかっていなかったらと考えるとぞっとする。

例えば一日中ゲームをしているとか、アニメを見ているとか、そういうことがしんどくなってきた。「無邪気」に楽しむことができなくなった。

 

どんなに自分が気にしていない風を装っていても、否応なしに年齢という物がある。

それは自分自身が「年相応」っていうものを大切にしているから。

30代の年相応って何だろう、って考えた時に浮かぶ物と言えば結婚。

(もはやこの考えも古いって理解はしている)

 

30代ともなれば結婚して、家庭を持ち家族のために何かをという人の割合が増えてくる。子供がいる人も多くなる。それは私の友人達を見ても明らかだ。

 

そういう人達と触れた時に「うわ、マジで何やってんだろうか」って我に返る時が多くなった。これは20代の時にはほとんど感じなかった感情だった。

 

だからと言って焦って何かをするわけでもない。

そうしてウダウダして過ごしているから結果として「休日の過ごし方が分からない」になってしまったんだろう。

 

でも、先に書いた通り今は新しい事にチャレンジしているので楽しい。

カメラ以外にも何かに挑戦していきたいな、という気持ちも高まっている。

それ以外にもゆっくり休まないとなって気持ちもあったりする笑

 

結局のところ、休みの過ごし方は誰かと一緒に過ごすであっても他人に依存無いしは委ねてはだめで、そこに明確な自分の意志が必要なんだろうなって思う。

 

がわ

表舞台

前職から風呂屋に華麗なる転職(?)をしてから、人前で話す機会が凄く増えた気がする。

 

もちろん前職でも人前で話す機会はそれなりにあったけれども状況が違う。

例えば、前職では関係者の意向をすべて汲み取って適切な説明をしなければいけないので、内容にある種の制限がある。

話す内容が明確に決められているので道筋を間違えることがあまり無いけれども、その分自由度はない。

 

風呂屋での場合は、話してほしいと言われる内容は決まっている。

なので、大枠は決まっているけれどもそれ以降はどの言葉を選んで発するかは自由。

ただし、話の内容がそれて道筋を間違える可能性も高い。

 

うーん、どっちもどっちな気がする笑

 

思い返せば、人見知りで表舞台には立ちたくないって思っていた。

今も思っている。

出来れば日陰を歩きたいし、上を向かずに下を向いて歩きたい。

けれども、自分が表に出ることでお店の知名度が上がって少しでも多くの人に存在を知ってもらえるなら私の気持ちなんて投げ捨てよう、と決めた。

 

取材を受けて、自分の言葉を紡ぎだして話す。

相手の聞きたいことを受け入れて、そこへの回答をする。

頭の中で常に思考して、フル回転させて、組み立てをして話す。

 

そんなことがいつの間にか上手にできるようになっていた。

とてもうれしいことに、分かりやすいやよくそれだけ話せるね、等と言ってもらえるようになった。これはきっといいことなんだろうと思う。

 

あれだけ、表舞台には絶対に立たないって決めていた人間がこのようになっているんだから人生って本当に何が起こるかわからないなと思う。

 

さらに加えれば、前までは余計なことも話すことが多かった。

けれども、最近はきちんと脳内で組み立てをするので話が逸れたとしても余計なことは言わなくなった。取捨選択を間違えることがかなり減った気がする。

 

場数を踏んだことによって、対応能力が上がっているんだなと。

こうやって、話をしていると「話すの得意なんだね」とか言われるけどそんなことはないし、今も人見知りは完治はしてない(だいぶ人見知りしなくはなったけど)

 

得意ではなく、得意にならざるを得なかったが正しい。

そうしないと、伝えたいことが伝わらないし、知ってもらえないから。

 

きっと、昔の私を知っている人たちからすれば今の私は信じられないくらい変わったんだろうなって思う。けれども、それは表面上の話であって、根本的には何も変わってない。

 

だって、今もできれば日陰を歩きたいって思っているし、休みの日は常に下を向いて歩いているから。

 

がわ

ポジティブとネガティブのはざま

小学生くらいの時から小さいことが気になって、あれこれ余計なことを考えてしまうネガティブ思考だった。

 

その割には小学生~中学生の時はかなり明るい人間だったとは思う。

表にいるときは何も考えていない風、でも実際はめちゃくちゃ色々な事を考えていた。

 

それは、今も変わらないしむしろ大学生くらいからネガティブに拍車がかかった気もする。まあそりゃもう仕方ないもんだなって思っているけど、周りからすれば違う。

 

「もっとポジティブに考えようぜ!」

「そんなネガティブになってもしょーもないじゃん」

 

みたいなことをめちゃくちゃ言われてきた。

なんなら今もたまに言われることがある。

でもそんな「ポジティブ」の押し付けをされても人間そんな簡単には変われないんすよ。それを分かってもらいたい。

 

だって、超ポジティブな人間に「少しはネガティブになれよ!」って言っても無駄な話じゃないですか。だから、その逆もまたしかり。そもそもポジティブが善でネガティブが悪なんて思ってないし、そんなことあるわけないし。

 

そんな中でも不思議な言い方をされたことがある。

学生時代に付き合っていた女性で、同い年だけどどこか不思議な雰囲気というか、少し変わっている人だった。

 

そんな人から言われたのが「がわはネガティブすぎるから、もっとポガティブをめざしなよ!」

 

「ポガティブ・・・?」

 

ポジティブとネガティブの真ん中。と言いつつややネガティブよりらしい。

ちなみにこの逆はネジティブらしい。

 

「この人本当に何言ってるんだ?」って言われた当初は思った。

しかも詳しい説明はなかったから、半ば思いつきだったんだろうなって今になって思う。

 

けれども、これが言葉として絶妙なバランスで割と受け入れることができた。

私の解釈としては「ネガティブの中に一つで良いからポジティブなことを見つけようや」ってこと。

 

これくらいならできそうだし、100%ポジティブの押し付けじゃないからこそ受け入れが出来たんだと思う。

 

受け入れたところでそれを実践できなければあまり意味をなさないけれども。

何より、ネガティブの中からポジティブを見つけるってすごく難しい。

どん底まで落ちている状態から明るい兆しを探すのって本当に暗中模索なんだよ。

 

それでも、ポジティブを見つけるという行為自体がポジティブだと思うからそれだけでぐっと気持ちも変わってくると思っている。

 

カタカナが多すぎて読みにくくなってしまっているけれども、要するに、ネガティブ人間を脱してポガティブ人間になりたいっていう話。

 

「ポガティブになりなよ!」って言われてから10年近く経ってるのにいまだにネガティブだって思っちゃうからまだまだ先は遠い。

 

けれども、まあ先があるっていう状態はなんだか前向きになれる気がするので今後も脱ネガティブ・目指せポガティブ。

 

がわ

マニアなツアー

銭湯の話。

 

自分が運営している銭湯で開店準備をして一番風呂に入るツアーという物を実施した。

(詳しくはtwitterで#マニアなツアーで検索してみてください)

 

想定していた以上に沢山の方がご参加してくださいました。

まず、ご参加していただいた皆様ありがとうございました。

拙い進行で時間が押してしまい申し訳なかったです。

 

さて、ざっくり企画内容を説明すると・・・。

営業開始前の銭湯(裏側を含む)を見学して、浴室・脱衣所の掃除を行いお湯を張る作業をする。その後、営業開始と共にお風呂に入るというツアーです。

 

「マニアなツアー」の名前の通り、あまりにもニッチでマニアックすぎる内容なので果たして本当に参加者いるのか・・・?と疑いの気持ちを持っていたのですがまさかまさかの大盛況でした。

 

参加者の皆様はかなり熱量が高く、普段見れない銭湯の裏側についても色々と聞いてくださって私も予定していた以上に色々なことをお話してしまいました。

 

浴室内の掃除をかなり真剣に取り組んでいただけて、なんだか嬉しかったです。

というのも、私たちが毎日やっていることもこうやって「体験」したいという方もいるんだなと感じられたのがとても嬉しかったです。

 

また、皆さんなんだか楽しそうだったのがとっても嬉しかったです。

 

掃除の後、実際にお湯を浴槽に張ったり、バイブラやジェットのスイッチを付けてもらったりと基本的な作業をしていただきました。

 

お湯を出した時に浴室内から「おおおー!」と声が上がっていてびっくりしました笑

そんなこんながあり、無事に本イベントは終了いたしました。

 

このツアーの一番の肝はすべての準備が終わった後に最初に所謂貸し切り状態で入るのではなくあえて営業開始後に他のお客さんと一緒に入るという所だと私は考えていました。

 

自分で掃除して、準備したお風呂にお客さんと共に入ること。

それを体験して頂きたかったんです。

(あまり詳しく話してしまうと恥ずかしいのでこれくらいにしておきます笑)

 

まだ皆様からの感想を詳しくは聞けていない(後日アンケート等を通して聞けることを楽しみにしています)のですが、実施出来てよかったなあと思っています。

 

改めて、ご参加いただきました皆様ありがとうございましたー!!

また何かマニアックなツアーをやる時はぜひともご参加をお願いします。

 

がわ

決めつけ

最近、ミラーレスカメラを借りた。

 

何となく写真に興味がありつつも、「いやでもカメラ買うほどの熱量ないし」って自分によくわからない言い訳をしてずっとやりたい気持ちに嘘をついていた。

嘘をつく、というよりも「どうせ巧く写真撮ることなんてできないし」っていう決めつけだったかもしれない。

 

小学生の図工の時間。

描いた絵を「事故現場みたいね」と先生に評されてから芸術全般に手を出さなくなった。あれは間違いなく呪いとして私の行動を制限していた。

 

描くこと、歌うこと、演奏すること等をやらなくなったけど興味が無くなったわけではない。むしろ興味を凄く持つようになった。それはきっと自分には「才能」がないから、「才能」がある人達への嫉妬心からくる興味だったと思う。

 

具体的に何が良いかわからなくても、絵を見ることは好き。

音楽を聴くことも好き。

歌じゃなくて、オーケストラ的な演奏も聞くのは好き。

 

けれども、知れば知るほど、その奥の深さが怖くなり、ますます自分でやろうなんて思わなくなった。

 

カメラもそれに近かった。

写真に興味を持ったのはもう10年近く前になる。

特別な何かきっかけがあったわけではなかった。

 

学生時代の友人達とよく旅行に行き、その風景を携帯電話やスマートフォンのカメラで納めるのが好きだった。そう、風景を撮ることが好きだった。

 

でも、最初に書いたようにカメラを買わなかった。

それはきっと、色々な言い訳をしつつ、怖かったということもあると思う。

本格的に写真を始めるわけでも、それを職業にしようというわけでもない。

好きで趣味で始めればいいのに、何かが怖かった。

 

そうしてウダウダやっているうちに10年近く経ってしまった。

でも、カメラを借りてからそんな気持ちは全部吹っ飛んだ。

 

とにかく、楽しい。

カメラの設定とかまだまだ分からないことだらけだから、現状は思ったように好き勝手撮っているけれどもとても楽しい。

 

街歩きや風景を見るのがもともと好きだったということもあるけれども、今まで以上に楽しい。

 

なんでもっと早く一歩を踏み出さなかったんだろうか。

もう少し早くからやり始めていれば、もっと楽しかっただろうに。

(過去に屋久島に行ったことがあり、その時にカメラをやっていたかったとめちゃくちゃ後悔した)

 

どんな事であれ、気になればやってみるのがいいのに、変な呪いと自分自身の決めつけのせいで長い事この楽しさを知ることができなかった。

 

きっとこれ以外にもよくわからない勝手な自分の「決めつけ」で取り逃がしている楽しい事が沢山あるんだろうなと思うとちょっぴり悔しい。

今からでも遅くないからそういう「決めつけ」で取り逃がしてしまった物を取り返していきたいって思えるようになったのはきっと少しだけ大人になり、精神的な余裕ができたからなんだろうと思う。

 

いつか自分でもカメラを買うぞ、と心に決めつつもまずは借りているカメラを持ち出して気になっていたけど行けていない場所へと足を運んでいきたいと思う。

 

出かける際にカメラを携えるだけで、近場であってもワクワクする。

仕事上なかなか時間が無いけども、無い時間なりに工夫して色々なところに出かけたい。

 

これからは、自分が「気になる」って思ったものには素直に挑戦していきたい!

(街歩き中に見つけた室外機の集団。こういうを見つけると楽しくなる)

 

がわ