小学生くらいの時から小さいことが気になって、あれこれ余計なことを考えてしまうネガティブ思考だった。
その割には小学生~中学生の時はかなり明るい人間だったとは思う。
表にいるときは何も考えていない風、でも実際はめちゃくちゃ色々な事を考えていた。
それは、今も変わらないしむしろ大学生くらいからネガティブに拍車がかかった気もする。まあそりゃもう仕方ないもんだなって思っているけど、周りからすれば違う。
「もっとポジティブに考えようぜ!」
「そんなネガティブになってもしょーもないじゃん」
みたいなことをめちゃくちゃ言われてきた。
なんなら今もたまに言われることがある。
でもそんな「ポジティブ」の押し付けをされても人間そんな簡単には変われないんすよ。それを分かってもらいたい。
だって、超ポジティブな人間に「少しはネガティブになれよ!」って言っても無駄な話じゃないですか。だから、その逆もまたしかり。そもそもポジティブが善でネガティブが悪なんて思ってないし、そんなことあるわけないし。
そんな中でも不思議な言い方をされたことがある。
学生時代に付き合っていた女性で、同い年だけどどこか不思議な雰囲気というか、少し変わっている人だった。
そんな人から言われたのが「がわはネガティブすぎるから、もっとポガティブをめざしなよ!」
「ポガティブ・・・?」
ポジティブとネガティブの真ん中。と言いつつややネガティブよりらしい。
ちなみにこの逆はネジティブらしい。
「この人本当に何言ってるんだ?」って言われた当初は思った。
しかも詳しい説明はなかったから、半ば思いつきだったんだろうなって今になって思う。
けれども、これが言葉として絶妙なバランスで割と受け入れることができた。
私の解釈としては「ネガティブの中に一つで良いからポジティブなことを見つけようや」ってこと。
これくらいならできそうだし、100%ポジティブの押し付けじゃないからこそ受け入れが出来たんだと思う。
受け入れたところでそれを実践できなければあまり意味をなさないけれども。
何より、ネガティブの中からポジティブを見つけるってすごく難しい。
どん底まで落ちている状態から明るい兆しを探すのって本当に暗中模索なんだよ。
それでも、ポジティブを見つけるという行為自体がポジティブだと思うからそれだけでぐっと気持ちも変わってくると思っている。
カタカナが多すぎて読みにくくなってしまっているけれども、要するに、ネガティブ人間を脱してポガティブ人間になりたいっていう話。
「ポガティブになりなよ!」って言われてから10年近く経ってるのにいまだにネガティブだって思っちゃうからまだまだ先は遠い。
けれども、まあ先があるっていう状態はなんだか前向きになれる気がするので今後も脱ネガティブ・目指せポガティブ。
がわ