人生、不十分

大好きな銭湯のこと、日常のこと、考えなど

決めつけ

最近、ミラーレスカメラを借りた。

 

何となく写真に興味がありつつも、「いやでもカメラ買うほどの熱量ないし」って自分によくわからない言い訳をしてずっとやりたい気持ちに嘘をついていた。

嘘をつく、というよりも「どうせ巧く写真撮ることなんてできないし」っていう決めつけだったかもしれない。

 

小学生の図工の時間。

描いた絵を「事故現場みたいね」と先生に評されてから芸術全般に手を出さなくなった。あれは間違いなく呪いとして私の行動を制限していた。

 

描くこと、歌うこと、演奏すること等をやらなくなったけど興味が無くなったわけではない。むしろ興味を凄く持つようになった。それはきっと自分には「才能」がないから、「才能」がある人達への嫉妬心からくる興味だったと思う。

 

具体的に何が良いかわからなくても、絵を見ることは好き。

音楽を聴くことも好き。

歌じゃなくて、オーケストラ的な演奏も聞くのは好き。

 

けれども、知れば知るほど、その奥の深さが怖くなり、ますます自分でやろうなんて思わなくなった。

 

カメラもそれに近かった。

写真に興味を持ったのはもう10年近く前になる。

特別な何かきっかけがあったわけではなかった。

 

学生時代の友人達とよく旅行に行き、その風景を携帯電話やスマートフォンのカメラで納めるのが好きだった。そう、風景を撮ることが好きだった。

 

でも、最初に書いたようにカメラを買わなかった。

それはきっと、色々な言い訳をしつつ、怖かったということもあると思う。

本格的に写真を始めるわけでも、それを職業にしようというわけでもない。

好きで趣味で始めればいいのに、何かが怖かった。

 

そうしてウダウダやっているうちに10年近く経ってしまった。

でも、カメラを借りてからそんな気持ちは全部吹っ飛んだ。

 

とにかく、楽しい。

カメラの設定とかまだまだ分からないことだらけだから、現状は思ったように好き勝手撮っているけれどもとても楽しい。

 

街歩きや風景を見るのがもともと好きだったということもあるけれども、今まで以上に楽しい。

 

なんでもっと早く一歩を踏み出さなかったんだろうか。

もう少し早くからやり始めていれば、もっと楽しかっただろうに。

(過去に屋久島に行ったことがあり、その時にカメラをやっていたかったとめちゃくちゃ後悔した)

 

どんな事であれ、気になればやってみるのがいいのに、変な呪いと自分自身の決めつけのせいで長い事この楽しさを知ることができなかった。

 

きっとこれ以外にもよくわからない勝手な自分の「決めつけ」で取り逃がしている楽しい事が沢山あるんだろうなと思うとちょっぴり悔しい。

今からでも遅くないからそういう「決めつけ」で取り逃がしてしまった物を取り返していきたいって思えるようになったのはきっと少しだけ大人になり、精神的な余裕ができたからなんだろうと思う。

 

いつか自分でもカメラを買うぞ、と心に決めつつもまずは借りているカメラを持ち出して気になっていたけど行けていない場所へと足を運んでいきたいと思う。

 

出かける際にカメラを携えるだけで、近場であってもワクワクする。

仕事上なかなか時間が無いけども、無い時間なりに工夫して色々なところに出かけたい。

 

これからは、自分が「気になる」って思ったものには素直に挑戦していきたい!

(街歩き中に見つけた室外機の集団。こういうを見つけると楽しくなる)

 

がわ