人生、不十分

大好きな銭湯のこと、日常のこと、考えなど

表舞台

前職から風呂屋に華麗なる転職(?)をしてから、人前で話す機会が凄く増えた気がする。

 

もちろん前職でも人前で話す機会はそれなりにあったけれども状況が違う。

例えば、前職では関係者の意向をすべて汲み取って適切な説明をしなければいけないので、内容にある種の制限がある。

話す内容が明確に決められているので道筋を間違えることがあまり無いけれども、その分自由度はない。

 

風呂屋での場合は、話してほしいと言われる内容は決まっている。

なので、大枠は決まっているけれどもそれ以降はどの言葉を選んで発するかは自由。

ただし、話の内容がそれて道筋を間違える可能性も高い。

 

うーん、どっちもどっちな気がする笑

 

思い返せば、人見知りで表舞台には立ちたくないって思っていた。

今も思っている。

出来れば日陰を歩きたいし、上を向かずに下を向いて歩きたい。

けれども、自分が表に出ることでお店の知名度が上がって少しでも多くの人に存在を知ってもらえるなら私の気持ちなんて投げ捨てよう、と決めた。

 

取材を受けて、自分の言葉を紡ぎだして話す。

相手の聞きたいことを受け入れて、そこへの回答をする。

頭の中で常に思考して、フル回転させて、組み立てをして話す。

 

そんなことがいつの間にか上手にできるようになっていた。

とてもうれしいことに、分かりやすいやよくそれだけ話せるね、等と言ってもらえるようになった。これはきっといいことなんだろうと思う。

 

あれだけ、表舞台には絶対に立たないって決めていた人間がこのようになっているんだから人生って本当に何が起こるかわからないなと思う。

 

さらに加えれば、前までは余計なことも話すことが多かった。

けれども、最近はきちんと脳内で組み立てをするので話が逸れたとしても余計なことは言わなくなった。取捨選択を間違えることがかなり減った気がする。

 

場数を踏んだことによって、対応能力が上がっているんだなと。

こうやって、話をしていると「話すの得意なんだね」とか言われるけどそんなことはないし、今も人見知りは完治はしてない(だいぶ人見知りしなくはなったけど)

 

得意ではなく、得意にならざるを得なかったが正しい。

そうしないと、伝えたいことが伝わらないし、知ってもらえないから。

 

きっと、昔の私を知っている人たちからすれば今の私は信じられないくらい変わったんだろうなって思う。けれども、それは表面上の話であって、根本的には何も変わってない。

 

だって、今もできれば日陰を歩きたいって思っているし、休みの日は常に下を向いて歩いているから。

 

がわ