忘れもしない、初めてテレビでオードリーの漫才を見たとき。
すごく面白いし強烈で、「この人達めっちゃ面白い!!」って。
それからM-1で準優勝して一気に売れっ子に。
今もテレビにラジオで大活躍してるお笑い芸人。
私はそんなオードリーが好きですがここ最近若干のモヤモヤがある。
最近というかここ何年かだと思う。
まず、ラジオリスナーのことを指すリトルトゥースっていうのが随分と表に出るようになったなあって。
SNSが爆発的に発展したってのが大きいとは思う。だけど深夜のラジオを聞きながら「きっとどこかに同じように聞いてるリトルトゥースがいるんじゃないか」ってワクワクしてたあの感覚はもう味わえない。
何よりひっそりと秘密というか、隠れ場所というかそういうところが、いわゆる陽キャ達にバレて荒らされてしまったっていう感覚がある。
好きという人が増えるのは良いこと、それをどんどん広げるっていうスタンスの人もいるけどなんでもかんでも増えれば良いものじゃないし、発信して広めれば良いものじゃないと思う。
広がれば広がるだけ濃度は薄くなるし、ひっそりとしていたからこそ良かったものがなくなるから。
それだけじゃなくて、若林さんは本も書かれている。
若林さんの本はすごく刺さるし、素敵でありながらえぐってくる文章が多いから私ももちろん好き。
でも、それを神格化してる人がいるのがモヤモヤする。それを完全に拠り所というか依存先にしてる人がいてまたモヤモヤする。
正直、近年のこのような神格化・依存先にしているということが気持ち悪すぎてSNSとかで好きって言いたくなくなっちゃった。
番組とかも昔ほど追わなくなってしまった。
ラジオも変わらず聞いてるけど、リアルタイムでは聞かなくなってしまった。
こうやって、昔から好きな人って離れていくんだろうなって思った。
こう言うと「時代にあってない」とか「アップデートできてない」とか「多様性が」とか言われたりするけどそんなんクソくらえ。
なんでも変われば良いもんじゃないし、変わらんほうが良いものっていうのもある。変わっていくことが悪いわけじゃないけど、本人じゃなくて周りが勝手に変えていくのはクソ以外のなにものでも無いと思う。
実はこれは銭湯とかサウナについてもたまに思っちゃう。
人間なので承認欲求や自己顕示欲はみんなある。
そんなもんは当たり前なんだけど、そればっかり出てる人が多いなって。
あとさっきの話とリンクするけど、銭湯やサウナを依存先にしている人が多すぎる。
なんでもかんでも全てサウナと絡めようとしたり、すぐに銭湯がーって言い出したり。
それだけ広がっているという見方ではすごくいい方向だとは思う。けどその分濃度は薄い。
銭湯やサウナを紹介する動画のはずなのに、出ている人にばっかりフォーカスがされていたり露骨なエロに走ってたり。
それってもはや(出てる)人の紹介で施設はおまけだよね?って思うことが増えた。
大好きなものだからこそ、ここにモヤモヤする。
より多くの人に楽しんでほしいし、多くの人に良さを知ってもらいたいけどそれがすべてじゃないし、ましてや依存先にされたらたまったもんじゃない。
どちらも日常の延長であり、それ以外のものも含めて生活を楽しんでほしい。
でもそれが全てって感じがなんか嫌だ。
モヤモヤする。
こんなモヤモヤ、消えることなく今後も増えていくんだろうなあ。
オードリーも銭湯・サウナも好きだからこそモヤモヤが消えない。どっちも好きであることはこの先も変わらないと思う。
でも「好き」の質や感覚は変わっていきそうだなと思った。
何でもかんでも広まれば良いっていうのは違うって事、多様性って言葉が軽く扱われすぎてるしそれを逃げの言葉として使ってる人が多すぎて嫌になっちゃう。
そんなモヤモヤの話でした。